【商いの​コト】時計一筋の​父と、​37歳で​時計の​道を​選んだ​息子ーアトリエスピカ

成功も​失敗も、​すべては​学びに​つながる。​ビジネスオーナーが​日々の​体験から​語る​生の​声を​お届けする​「商いの​コト」。

つなぐ加盟店 vol. 42 アトリエスピカ 大澤範之さん、​大澤正明さん

新しい​ことを​はじめるのに、​年齢は​関係ない。

今回は​腕時計修理専門店『アトリエスピカ』を​営む親子を​紹介する。​大澤範之さんと​父の​正明さんだ。​父の​正明さんは​仕事人生の​ほとんどを​時計とともに​過ごした。​一方で​息子の​範之さんが​時計の​仕事を​はじめたのは、​37歳の​とき。

な​ぜ​範之さんは​それまでの​キャリアとは​異なる​時計の​道を​選んだのだろうか。​前編では​腕時計修理専門店を​はじめるまでの​2人の​キャリアを​紹介する。

後編は​こちら

16歳から​時計一筋

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「きっかけですか……。​人の​紹介です。​昔は​時計メーカーが​社内で​組み立てを​行うのではなく、​外注するのが​一般的だったんです。​僕は​その外注先で​組み立ての​仕事を​していました。​時計が​好きだったかと​いわれると…​そんな​ことは​ありませんでしたね。​学生の​頃、​僕は​体が​小さかったので​楽な​仕事に​就きたいと​思っていたんです。​時計の​仕事は​座ってできるから、​外を​飛び回る​営業とか​よりは​楽そうだなと​思って​(笑)。」

柔らかな​表情で​語ってくれたのは、​父の​正明さん。​16歳から​キャリアの​ほぼすべてを​時計に​捧げてきた。​“職人”の​イメージとは​少し異なり、​穏やかで​ゆっくりと​した​口調で​喋る​様子が​印象的だ。

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「もう​いいやと​思った​ことも​ありましてね、​時計の​仕事を​辞めて​従兄弟が​やっている​鉄鋼の​仕事に​就いたんです。​でも​やっぱり​鉄鋼の​仕事って​重労働できつくて……。​なんだかんだ​時計を​扱う​仕事が​自分に​合ってるんだろうと​思って​戻る​ことにしました。​修理の​仕事を​するようになったのは​それからですね。​」

時計の​修理は​長時間​細かい作業を​する​ため、​肉体労働とは​別の​大変さが​ある。​しかし​正明さんには、​集中力が​求められる​この​仕事が​合っていたようだ。​定年を​迎えるまで​会社勤めで​時計の​修理を​続けた。​65歳に​なった​正明さんは​会社を​辞め、​個人で​時計の​修理を​する​ことにした。

「これからは​アルバイトくらいのつもりで​仕事を​受けて、​年金を​もらってのんびり​生きていけたら​いいなと​思っていたんですよ。​だから、​それまで​時計とは​全く​関係のない​道を​歩んでいた​息子から​『自分も​やってみたい』と​言われた​ときは​びっくりしましたね​(笑)。」

会社勤めから​フリーの​コピーライターを​経て

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時計の​道一筋で​生きてきた​正明さんとは​対照的に、​息子の​範之さんの​キャリアは​変化に​富んでいる。​コピーライターに​なりたいと​思っていた​範之さんは、​求人情報などを​扱う​会社に​就職し、​企業の​新卒採用や​中途採用に​関わる​仕事を​していた。

1度目の​転機が​訪れたのは​27歳の​とき。​会社の​先輩が​独立して​クリエイターが​直接クライアントと​つながり、​企業ブランディングを​行う​会社を​作ると​いう​ことで、​範之さんは​創業メンバーと​して​参画した。

「9年間ほど​働きました。​今では​会社は​大きくなって​名古屋や​大阪、​福岡にも​支社が​あるんですよ。​創業メンバーと​して​会社を​大きく​する​仕事は​もちろん充​実感が​ありました。​ですが​当時の​僕は​とにかく​仕事が​すべての​生活を​していた​ことや、​マネジメントの​仕事が​多かった​一方で​プレイヤー志向が​強かったので、​別の​働き方を​したいと​思うようになりました。​」

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範之さんは​働き方を​変える​ために​35歳で​会社を​辞め、​フリーの​コピーライターと​なった。​これが​2度目の​転機である。​そして​2年ほどが​経過し、​日本を​大災害が​襲った。​東日本大震災である。

「当たり前の​日常が​突如と​してなくなってしまう​ことへの​恐怖を​覚えました。​コピーライターの​仕事は​楽しかったですが、​自分が​60歳や​70歳に​なった​ときに​この​仕事を​続けている​イメージが​持てなくなってしまったんです。​何か​資格を​取得して​ずっと​働き続けられる​仕事を​したい。​震災を​きっかけに​仕事に​対する​価値観が​大きく​変わりました。​」

3度目の​転機を​迎えたタイミングで、​父の​正明さんは​会社を​定年退職。​時計の​修理を​個人で​やると​いう​話を​聞き、​初めて​興味を​持つようになったと​いう。

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「時計自体には​あまり​関心は​ありませんでしたが、​父が​ずっと​やってきた​時計修理の​仕事が​一体どのような​ものなのだろうと​興味が​湧きました。​灯台下暗しじゃないですけど、​時計は​世界中に​ありますし、​体が​元気ならずっと​続けられる​仕事なんじゃないかと。​37歳で​未経験の​ところから​覚えられるかどうか​分からないけど、​とり​あえず​やってみようと​決意しました。​」

人生の​中で​何度か​大きな​転機を​迎えてきた​範之さん。​37歳に​して​父の​正明さんと​同じ​時計の​道に​進む​ことを​決心した。​後編では、​範之さんが​時計修理を​学んだ​過程や​仕事の​魅力、​そして​今後の​展望に​ついて​紹介する。

後編は​こちら

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アトリエスピカ
埼玉県春日部市大畑305-1
Tel/Fax : 048-812-8783
定休日 : 水曜・日曜・​祝日

(つなぐ編集部)
写真:小沼祐介