つなぐ加盟店 vol. 42 アトリエスピカ 大澤範之さん、大澤正明さん
新しく何かをはじめるのに、年齢は関係ない。
腕時計修理専門店『アトリエスピカ』を営む、大澤範之さんと父の正明さん。正明さんは仕事人生のほとんどを時計とともに過ごした。一方で範之さんが時計の仕事をはじめたのは、37歳のとき。60歳や70歳になっても働き続けられる仕事をするためにした、大きな決断だった。
前編では腕時計修理専門店をはじめる前の二人のキャリアを紹介した。後編では、範之さんが時計修理を学んだ過程や仕事の魅力、そして今後の展望について紹介する。
前編はこちら
息子と父、それぞれにとっての新たな挑戦
“ずっと働き続けられる仕事がしたい”
東日本大震災をきっかけに仕事に対する価値観が大きく変わった範之さんは、37歳で時計修理の世界に足を踏み入れた。最初の半年ほどは、時計の組み立てと分解をひたすら繰り返し練習する毎日だったという。
「歯車は小さくてすぐ壊れてしまうんです。本当に繊細な作業をしているのだなと感じました。もともと時計がゼンマイで動くことすら知らなかった僕にとって、『こんな世界があるんだ』と驚きの連続でしたね。」
範之さんは次第に時計修理にのめり込むようになっていった。父の下での修行のほか、専門書を読み漁ったり夜間の学校に通ったりしながら勉強を重ね、時計修理の国家資格である1級時計修理技能士を取得。最初はオンラインのみで修理を受け付けていたが、昨年の9月に実店舗をオープンした。
「調べてみると、時計修理に関するお客様の不満の声がネット上にたくさんあるんです。例えば『見積内容に納得がいかない』『何週間も連絡がない』、『なぜこのパーツを取り替える必要があったのか分からない』とか。時計は内部が見えないため、お客様は不安に感じやすいんです。それなら、お客様が直接修理士とやり取りできるようにしたら安心していただけるんじゃないかと思いました。時計が修理される過程もきちんと写真で記録してお見せし、修理の透明性を大切にするよう心がけています。このあたりは前職でクリエイターとクライアントが直接コミュニケーションを取ることにこだわっていた経験が活きていますね。」
時計修理の仕事をはじめたことで、父である正明さんの職人としての技術の高さを感じる瞬間が多いという。
「一緒に仕事をしていると、頭の中の引き出しの数が違うなと感じますね。僕が長時間悩んでしまう問題でも、父はものの20分程度で解決策を見つけ出してしまうんです。長年の経験によって培った引き出しの多さと、その引き出しの中から最適な手段を導き出すスキルが本当に高い。見習わなくてはいけないなと思っています。」
範之さんは新たなことに挑戦し、刺激的な日々を送っているようだ。しかし、新たなことに挑戦しているのは範之さんだけではない。72歳の正明さんもまた、お客様と接する日々に新鮮さを感じている。
「今まで技術者として生きてきたので、お客様と接する機会がありませんでした。だから僕は事務的なやりとりはできても、お客様の心を読み取って会話をすることは苦手なんです。そういう面は息子が上手いなと思いますね。まさか70歳を過ぎてから自分のお店を持って、初めての接客をするとは思いませんでしたよ(笑)。」
時計だけでなく、お客様の『時』を預かる仕事
これまでたくさんのお客様の時計を修理してきた範之さんに、印象に残っているお客様について聞くと、鉄道時計の修理を依頼してきたお客様の話を聞かせてくれた。
「お預かりしたのはSEIKOの鉄道時計です。鉄道乗務員を目指していたお客様が中学生の頃、お祖父様から譲ってもらった時計だそうです。1975年に製造されたもので既に製造は中止。パーツもなかなか入手できない時計です。それでも、なんとしても修理しなければなりませんでした。このお客様は夢を叶えて鉄道会社に就職し、これから鉄道乗務員の養成過程に進むところで、この時計は、お祖父様との思い出の時計なんです。修理が完了して動くようになった時計を見ると、お客様は『念願の乗務員になるにあたってこの時計をどうしても直しておきたかったんです。最初は不安もありましたが、不具合について丁寧に説明していただき、そしてきれいになって戻ってきたのを見て本当に安心しました。定期的にメンテナンスをお願いしたいです』と言って喜んでくださいました。」
一般的に、時計修理の価格は決して安いものではない。時として買値よりも高くなることもあるが、それでも修理をしてほしいというお客様は後を絶たないという。
「お客様と喋って時計にまつわる思い出を聞いていると、その時計がどれほど大切なものかが伝わってきます。そう考えると、僕たちは単にモノとしての時計ではなく、お客様の『時』をお預かりし、修理させていただいてるのかもしれません。そこに仕事のやりがいを感じますし、1本1本がお客様にとって特別な時計であることをきちんと理解して修理する技術者でありたいと考えています。37歳から挑戦した仕事ですが、今では時計修理が自分の天職だと思って働けているのでとても幸せです。」
形見の時計を大事にする人を増やしたい
「僕たちのような独立した時計修理店の存在意義は、技術者と直接やりとりができること、そしてメーカーや正規販売店で受付ができなくなってしまった時計の受け皿になること。そのためには高い信頼と技術力が大切だと考えています。広告でお客様を増やすというよりも、お客様一人ひとりに信頼してもらうことで、また来ていただいたり、友人に紹介していただけるような地道なお店作りをしていきたいです。その過程で、形見のものや記念のものを大事にしてくれる人が増えてくれたら嬉しいですね。あとは、父の世代の技術力を後世に残していきたい。父のもとには、時計の修理技術を学びたいと教えを請いに来る方がいらっしゃるんです。技術を受け継ぐ体制をどのように作るかということも視野に入れて、店を運営していきたいです。」
現在は父と子の2人で経営しているアトリエスピカ。将来的には人数を増やすことも検討しているという。37歳で時計修理の世界に飛び込んだ範之さんと、70歳を超えて初めて接客をした正明さん。『人生に挑戦するのに年齢なんて関係ない。もともとこの世には時間などない。それは人間が勝手に作ったものだ。私は時計師だからそのことがよくわかる』とは現代の天才時計師と呼ばれるフランク・ミュラーの言葉。何かをはじめるときに必要なものは、若さでも才能でもなく、一歩踏み出す勇気だけなのかもしれない。
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アトリエスピカ
埼玉県春日部市大畑305-1
Tel/Fax : 048-812-8783
定休日 : 水曜・日曜・祝日
(つなぐ編集部)
写真:小沼祐介