つなぐ加盟店 vol. 55 fuzkue阿久津隆さん
fuzkue(フヅクエ)は、2014年10月17日にオープンした東京都渋谷区にある本の読める店だ。京王新線「初台」駅の南口を出て、右に数十秒歩くと左側に見える鰻の「赤垣」。その隣りのビルの階段を登った2階にある。利用客のほとんどがゆっくり過ごし、平均滞在時間は2時間半にもなるそう。座席料があり、その金額はドリンク、フード、デザート、つまみなどのオーダーと滞在時間により増減する。
来店すると手渡されるのが、「ご案内とメニュー」。「『たしかに快適に本の読める状態』の実現のために」という項目には、連れ合いとの会話や写真撮影、ペンやパソコンの使用に関する約束などが書かれている。
fuzkueのコンセプト、料金体系、約束事のどれもが個性的に見える。ひとつずつ確認していくようにインタビューを進めた。
静かで、気兼ねなく
まずは「本の読める店」というコンセプトについて尋ねる。耳慣れないが、どんなお店なのだろう?
「本の読める店は、快適な読書の時間を過ごしていただくお店です。気兼ねなく過ごせることと、静かであることを整えています。ここで言う『気兼ね』っていうのは、例えばお昼にカフェに入ったときに『飲み物だけでもいいですか?』と確認したくなっちゃったり、あと、そろそろおかわりしたほうがいいかなと考えちゃったり、席が埋まっていてそんなに注文していない時に、自分が出たほうがいいのかなと思っちゃうような、そういう感じのことです。
特に、個人店だと感じやすい性質のものなのかな。気兼ねが生じ難いのは、ファミリーレストランとか、カフェチェーン。ある程度、広さがあって、店の人の顔みたいなものがあんまり見えてこないところだと、気兼ねは薄くなるんですけれど、それって『人を人だと認識せずに済む』っていう、便利だけど無機質なものでもあって。それに、読書の環境に適切な場所かというと、ちょっと…。静かで、気兼ねがないことを、両立させるのは難しいんですね。
高い確率で静かな場所や、静かな時間帯があるときもあるというお店は、あると思います。でもここに行けば確実に静かで、快適に本が読めるって場所は、本当に少ない。本をがっつり読みたい、というときに、確実に、っていうのはものすごく大事で。
静けさを保つためのコントロールはすごく繊細ですけど、パソコンをほぼ利用不可にしたので、音の管理をしなきゃいけないことは減っています。仕組みで解決しちゃいました。
とはいえまだ完璧ではなくて、ボールペンの扱いが激しい人がいるときに、これは声を掛けた方がいいかな、と思ってドキドキしたりしています。読書時のメモ用に机にボールペンを置いているんですが、ノック式からキャップ式に変えたり。
緊張を強いる静寂を目指しているわけではまったくなくて、ちょうどいい静けさを作りたいのですが、ポーンと鋭く耳に入ってくるような音は、本を読んでいる人の意識がそのつど奪われるからやっぱりダメなんです。同じ空間に人がいるという意識の欠落、それは敬意の欠落でもあると思うんですが、その欠落が可視化されたように感じられる音は、この場所から減らしていきたいんです」
Google マップを参照すると、カフェバーだと記されている。間違いなのだろうか。
「カフェバーだとは思っていないんです。本の読める店のためだけに、本当に振り切っちゃっていますね。店は本を読む人のために開く、じゃあ本を読める環境って何か、それを成立させるものとは? そのように全部落とし込んでいくことしかしてきませんでした。本を読める時間を、どこまで豊かなものとして味わってもらえるのかを考えているんです。
ゆっくり気持ちよく過ごすには、何が必要なのか。美味しいものを飲んだり食べたりはしたい。そうできたら豊かかなと、飲み物や食べ物を出しています。完全に、想定しているお客さんは、自分です。僕がほしいと思う店をつくりました」
半端に、損なわず
fuzkueのウェブサイトにある「よみもの」を読むと、阿久津さんが岡山県でカフェを営んでいたことが分かる。その頃から、本の読める店だったのだろうか。
「岡山では、カフェをやっていました。fuzkueが『本の読める店』と、言葉として明確になったのは、2017年。それまでは『一人の時間をゆっくり過ごしていただくための静かな店』。でも最初から、本を快適に読んでもらうための店というコンセプトは変わっていないです。
岡山を2014年の6月に出て、4ヶ月後の10月には開業しています。初台には何も縁がありません。求めていた物件の要素としてよかったんです。2階で、窓が広い。光や窓があると、何か気持ちいいじゃないですか」
なぜ東京だったのか。
「生まれ育ったのがこちら側で、やろうとしていることがそれなりにニッチだったから、単純に人が多い東京じゃないと怖かったからかな。
最初っからは、もちろん集まらないですよ。ブログを毎日のように書いていて、増えればいいなとしか考えていなかったんですね。いきなり、何かで注目されて、ワァ〜っと人が集まっても、良いことにはならない。徐々にでよかったんです。でも、ついに我慢しきれなくって、1年半くらいしたときに、1階の階段脇に看板を出しはじめました。
この店も、いろいろ移り変わり、一時期は、平日の日中は定食屋として営業していました。『定食川越』という屋号を別に設けて。アルバイトに、川越さんっていう人がいたんです。彼女が入るまでは、名前をつけていませんでした。fuzkueの名前は隠して、「定食」とだけ書いた紙を貼って。fuzkueは夜のみ。厳しい時代を、定食川越に支えてもらった感じです。
たぶん違うやり方もあるとは思います。ちょっとは喋ってもいい店にするとか、貸切プランやライブ開催。けれどfuzkueが提供する価値を、損なわないようにしながら、どうやって続けていけるのか。日中は他所でアルバイトをしてもいい。とにかくfuzkueを半端な店にはしないと、してきたつもりですね。
fuzkueは、社会に良い価値を提供していると思っています。半端になったら意味がない。意味がないことは、やりません。それは僕の気持ち。あとは、この場所にわざわざ足を運んで、本を読んでくれる人たちを毎日見ていたら、この人たちを裏切ると、格好悪いだろうなぁと感じていきました。でもまだ我慢の時期で辛いなぁって思うことはあります」
喜んで、爽やかに
fuzkueのウェブサイトにある「よみもの」は、阿久津さんが書いている。文章からは、阿久津さんが頭に浮かぶイメージに、なるべく重なる言葉はどれか、探しているような様子が感じられる。“売上は1.25倍になった。(fuzkueウェブサイト2017年の振り返りと2018年の目標より引用)”と書いていることをはじめ、お金につまびらかな印象も受け取れた。
「本当は金額まで書けたら格好良いんですけど、まだ抵抗があるんでしょうね。本の読める店というのが、売上的に跳ねる世の中だったら、嬉しい」
続けて、読書という文化に売上という商売を合わせて記す訳を尋ねてみる。
「お金の話って、僕は好きなんですよね。何で好きなんだろう。わからないなぁ…ちょっと話は外れちゃうんですけど、僕の文章って読書好きの人が主に読んでくれていると思うんです。
いわゆる文化的なものの中に、生々しいお金や経営みたいなものって、ないもののように扱われている部分がある気がしていて、でも実際リアルに人が働いて、生活が行なわれています。そのことをちょっと知らせても面白いんじゃないかな。
あと、座席料のシステムや、もっと払ってくださってもいいですよという仕組みとか、お金に対していろいろ定めている店だから、何か、お金のことをもっと軽く喋りたいなぁ、そういう態度でいたいなぁというのも、あるのかもしれません。続けていくうえで、お金って大事ですし。
お金を払うことは、嬉しさや喜びを得る行為になりうると思うんですね。僕は読む本を全部買うんですけれど、ちょっとでも出版社なり作家なりが次の1冊をつくることに貢献したいし。もしも貢献できているのだとしたら、それは僕にとって喜びであって。それは、店にも当てはまるんですよ。
いただいた2,000円が、また家賃になってfuzkueは続いていく。もっと、『好き』とか『応援したい』とか、ポジティブな思いが乗った支払いをする機会が増えていったらいいなと。お金は、爽やかに授受できるものじゃないかなぁ。
もっと払ってくださってもいいですよって仕組みは、たぶん、健やかに回っています。先日、ちょうどあったんです。3,000円のお会計だった時に、今日も完璧な時間が過ごせたんで、5,000円で払わせていただきますということが。僕はもちろん『やった〜!』だし、その方にとっても、気持ちいいことだったと思います。この場面って誰も損してないんですよね。だから何だろう…お金…いいもんですよ」
fuzkueの料金体系は独特だ。例えば、ドリンク1杯とデザートかつまみを1品頼めば座席料は600円。だが、もう1杯ドリンクを頼むと座席料が0円になる。会計時に合計金額が2,000円だった場合に、例えば3,000円支払うこともできるようになっている。
「単純に、もっと払いたいなって、他所で感じたことがありました。喫茶店で、ゆっくり本を読んで、気持ちいい時間を過ごしていても、コーヒー1杯しか飲んでいない。600円じゃないよな、でもおなかはいっぱいで…みたいな。
好きなアーティストを追っていても、『できたらフィジカルのほうが儲かるから、CDを買ってほしい』ってツイートを見かけてしまう。いや買うんだけどさ、単純に5,000円をポッと渡すことってできないんだろうか。それで、音源をもらうだけでいいからさぁ。もっとフレキシブルに、お金を渡せたらいいのにな、っていう。
たぶん、好きなものに対しては、そう思う時があるのかもしれません。気持ちが燃え上がったときに、お金を払う受け皿がほしいと、ちょこちょこ思ってきました。開店してから半年は、値段を決めていなかったんです。とにかく好きな金額を払ってください。あなたの満足度を自分で決めてくださいって。
そんな信じられないような仕組みではじめてから、料金システムや支払いの仕組みは、大きく2回、改めています。違和感を持った瞬間に変えないと気が済まなくて。最初は何も決めていなくって、次は普通の値段をつけただけ。そうして、この形になっていきました」
遊べて、前向きに
fuzkueの「ご案内とメニュー」は全11ページに及ぶ。ルールが一覧しやすく、設けた経緯と意図もよく伝わってくる。
「『本の読める店』というお題目ができたことで、とてもやりやすくなったんです。パソコンのタイピングをはじめ禁止事項はあるんですけど、否定の言葉をできるだけ使わないようにしています。例えばこの店なら、入口におしゃべり禁止のマークをつけることも可能だと思うんですけど、fuzkueは本の読める店だから、おしゃべりする必要はないよね、という前提を持てています。
だから、『fuzkueは本を読めますよ、それは静かだからですよ』って、前向きな言葉で流していける。別にお客さん自身にとって関係ないルールでも、人って禁止事項を見たら、何かしらネガティブなダメージを負うような気がしていて、そうならないように、言葉選びを意識しています。
自由に遊べる枠を設定するためのルールなんですよね。このルールのなかで、好きにしてくださいっていうことです。スポーツを考えれば一目瞭然ですけど、ルールはすごい大切ですよ。いろんなお店で、暗黙のルールってありますけど、暗黙って、一回目の人に対して厳しいんですよね。fuzkueは、お客さんを等しい存在にしたい。ルールが明文化されることによって、初めて来た方でも安心して過ごすことができるようになります。ルールというとなにかに縛られそうな響きがありますけれど、丁寧に使えばとても気持ちのいいものを作る手伝いをしてくれる、と思っています。ルール大好きです」
世界への信頼
阿久津さんは、ビジネスもポリシーも、どちらも理想を進んできている人のように見える。苦労はないのだろうか。
「ちょっと今は働きすぎているんです。週5.5日。週5日は14時間店にいるような感じです。これは働き方としても暮らし方としてもよくないなぁって。人をちゃんと雇えるようにならないとお先真っ暗だなという危機感がだいぶあります。でも、スケールしにくい商売を個人でやっているとわかってもらえると思うんですが、どこまで人件費として出せるのか、と考えると、怯むところがあります。こんなこと言ってちゃダメなんですけどね。まあ、雇ってみて、お金が足りなかったら僕が他のところでバイトをするとかも、新鮮で面白かったりして、みたいにもちょっと思っています」
fuzkueのように、自分の「あったら行きたい」という店をつくりたい人にとって、阿久津さんのような実践者がなぜ行動に移せたのか、理由は気になることのひとつだろう。阿久津さんがオープンに踏み出せたのは、独特な人生観が影響していた。
「世界への信頼みたいなものじゃないですか。
そういう店があったら行きたい僕という人間が、ここにいる。それなら、同じような人間が、小さな商売が成り立つ程度にはいるんじゃないのかな、きっといるでしょ、この世界には、という信頼。
やりたいことがあった時、やらないという選択をできない。あとは何とかするしかないし、何とかするしかないとき、人は何とかするんですよ。やる前に、ネガティブなシミュレーションっていくらでもできちゃいますけど、全然リアルに想像できているわけじゃないから。
僕もまさかfuzkueをはじめて、最初の半年で貯金が40万まで減って、2〜3ヶ月でショートするなぁという状況になるとは思っていませんでした。それで定食屋をはじめたんです。その時は怖さも感じなかった。ただ、『これはまずいぞ』と、何とかするじゃないですか。そういうことの繰り返しでしかないんじゃないかな」
残高が底を突くかもしれないという状況は、fuzkueにとって、これまでで一番大きな壁だったように見える。しかし、それは見当違いだった。
「金銭的にということだけですから、あんまり、大きなことじゃない。逆に定食屋を捨てた時に、頑張ったかもしれません。一定の金額を稼げるけど、これでずっとやるのって想像した時に、そんな姿は見たくない未来でした。常にいつも、行って安心して入れる、fuzkueはそうありたいな。今は不定休で休んでいますけど、本当は休みなく開店したい。
個人店って、ヘルシーに働いて、週3日休んでも、なんかアリという感じがあるけれど、それには欠けている部分がある気がして、休んだ3日間はお客さんが来られない日になります。その曜日にしか行けないという人もいるわけで、毎日やっているなら今日行けると、そんな本をゆっくり読みたいというニーズに対して、fuzkueは向き合っていたいんですね」
なぜだろう。自身をお客さんとして想定したfuzkueが、他のお客さんの求める声を重んじる店へと転向している。なぜ心境は変化したのだろうか。
「やっぱり、お客さんからいただくリアクションの積み重ねだと思います。fuzkueがやっていることは、価値があることだなって、実感し続けてきたから、この場を守るというか、この価値を提供し続けたいというか、そういう風に思うようになったのかもしれないですね」
薬局には薬を買いに、fuzkueには本を読みに
阿久津さんひとりの場所から、お客さん全員との場所へ。3年間で変わっていったfuzkueは、今後どんなことに取り組んでいきたいのだろう?
「今はその何かがなくって、困っているというか。毎年、こうなるんですよね。もう完璧にしちゃったもんなぁって、思っているんだけれど、全然ダメだったって、いつかなるんです。ダメだってなったら、猛烈にやるというのを繰り返している気がします。でも何か…いや本当は、いくつかお店をはじめられたらって思っているのかもしれません。
fuzkueが初台にしかないのはもったいない。もっといろんな場所に備わっていていい、機能だと思うんです。薬局には薬を買いに、fuzkueには本を読みに。そのような感じで、読みたい人にとって週1や月1くらいで通う場所というか。そうなると、ある程度は近くにないと、来られないよなって感じます。
だから、もしかしたら僕が次にやるべきことは、第二の阿久津隆を育成するってどんなことなのか、人を雇ってはじめてみるチャレンジなのかな。自分を理想のfuzkue店員だと思っているからなんですけど。そろそろ求人をかけようとは思っているんですね。変に、具体的な条件を設けたりしないで、読書好きくらいの条件で」
9月30日、本当にスタッフの募集を開始している(fuzkueウェブサイトスタッフの募集のお知らせ参照)。コンセプトも、料金体系も、約束事も、ひとつずつの質問に、適した言葉を選びながら答えてくれた阿久津さん。最後に、阿久津さんにとってのfuzkueはどんな場所なのかに答えてもらって、この記事を終えよう。
「最近は映画館みたいな場所だよなって考えてますね。fuzkueをしながら、そう腑に落ちてきました。映画って、家や移動中でも見られますよね。それと同時に、映画を見ることに特化した映画館という場所もある。そこでは、快適で豊かな鑑賞体験が提供されている。fuzkueは、それの読書に対応するところでありたいなと、思うんですよね」
fuzkue
東京都渋谷区初台1-38-10 二名ビル2F
E-mail : contact@fuzkue.com
営業時間: 12~24時
定休日: 不定休
文:新井作文店
写真:袴田和彦