【商いのコト】写真集を開けば、いつもと違った世界が見えてくるーbook obscura

成功も失敗も、すべては学びにつながる。ビジネスオーナーが日々の体験から語る生の声をお届けする「商いのコト」。

つなぐ加盟店 vol. 44 book obscura 黒﨑由衣さん

好きなことを仕事にするのは簡単ではない。好きな分こだわりが強くなりすぎたり、お金を稼ぐこととやりたいことが相反したり。好きだと信じていたのに、いつの間にか飽きてしまったりもする。

その点、黒﨑由衣さんの“好き”には迷いがない。好きというより“夢中”。その一方で、ちゃんと必要なステップを踏む冷静さや着実さ、計画性がある。自分の好きな世界をお店という場を通して表現する、誰もが憧れる仕事を形にしている黒﨑さん。どんな思いでこのお店を開いたのか。これまでの道のりと、これからを聞いた。

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古本屋なのに、古本屋らしくない本屋

白い壁に木の扉。小さな看板には「book obscura(ブックオブスキュラ)」とある。カフェのようだけど、本屋さん。

吉祥寺駅から井の頭公園を抜けると、閑静な住宅街に出る。その合間を通る商店街には、駅周辺の喧噪とはうってかわってのんびりした空気が流れる。2017年の秋、井の頭公園の側に写真集の専門店「book obscura」はオープンした。

明るい声で迎えてくれた黒﨑さんは、小柄で華奢だけれど笑顔のあふれるエネルギッシュな女性。紺色のエプロンがよく似合っている。

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▲もとは印刷会社だったという物件をリノベーションした店内。

店内は、大きな窓から差す光で明るい。置かれている本はほとんどが写真集で、古書を扱っているのに古本屋っぽくない。本棚は入って右手の壁一面にあるのみ。中央の大きな平台には大判の本が手に取りやすいように置いてあり、左手は写真展などを行うギャラリースペース。入り口脇にはコーヒーの飲める細いカウンターもある。何だか新しい空気を感じる。

「うちは古本屋ではありますが、古本の匂いがしたり、店内ぎっしり本だらけって店にはしたくなかったんです。写真のことを知らなくても、ふらっと遊びにきてコーヒーを飲みながらぱらぱら写真を見てもらえるような、そんな空間が理想でした」

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▲コーヒーを片手に、写真集をゆっくりくつろいで見ることができる。

book obscuraのインスタグラムを覗くと、本の紹介の下に「#売りたくない写真集を売る本屋」「#はっきり言って売りたくない」といったタグが並ぶ。
「この棚の一部はもともと私物だったものなんです。以前から写真集が大好きで、ずっと集めてきたもの。だから売りたくない!って本もたくさんあって(笑)」と黒﨑さん。

買う側からすると、それ以上信頼できる太鼓判もないだろう。店主が思いをこめて選んだ本が、自分のものや、大切な人への贈りものになるとしたら、それは嬉しいことに違いない。

写真集なら、本を開くだけで旅ができる

それにしてもこれだけ本が売れないと言われる時代に、なぜ “写真集の専門店”なのだろう?

「写真って、最近はインスタなど撮る機会も増えて、表現としてはすごく身近になりましたよね。でも写真集はなかなか手に取る機会がないし、何から見ていいかわからないことも多い。だったら、お客さんが探さなくてもいいように、こちらでセレクトしてしまおうと思ったんです」

ファッション、人物、風景、自然などのカテゴリごとに棚が分かれていて、海外のドキュメンタリー写真から、今日本で勢いのある写真家の作品集、硬派なもの、キッチュなものとさまざまに並べられている。お客様にはあまり難しいことを考えずに、ただ好きな本をゆっくり眺めてほしいという。

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「先日、ご近所のママさんが保育園のお迎え前に立ち寄ってくださったんです。忙しくてなかなか写真集などゆっくり見る余裕のない時期だと思うんですが、たまたま目の前にアラスカの写真があって、コーヒーをのみながら写真を眺めて帰られた。その方が次に来てくださった時に、あの写真集いいよね、同じ写真家さんのほかの本もありますか?って。嬉しかったですね」

忙しい毎日で心を失ったり、視野が狭くなることは誰にでもある。その時ふっと心に新しい風を入れ、忘れていた気持ちを思い出させてくれるのは、目の前の現実から遠い世界だったりする。

「写真集を開くと、居ながらにして遠くへ旅をするような感覚が得られます。まだ見たことのない世界を見られたり。写真集には文字がないので、海外のものでも理解しやすいし、100年経った写真でも、その時代を垣間みることができるんです」

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旅から、本屋という天職との出会い

黒﨑さんは2009年から2014年までの5年間、旅をテーマにした本屋で店長として働いていた。青山の「BOOK246」と聞けば、まだ記憶に新しい人も多いだろう。旅の雑誌や本、ガイドブック、写真集などを置くお洒落な店で、編集者やアパレル、アウトドア関係の感度が高い若者に人気のある、情報の発信地でもあった。2014年にビルの老築化のため閉店したが、この店で企画や本のセレクト一切を行っていたのが、黒﨑さんだ。

「そもそも私が写真集に惹かれたのも、旅が大好きだったからなんです。10代の頃に初めて海外旅行をして以来、旅の魅力に取りつかれてしまって。服飾の専門学校に進学したものの、ほとんどは旅費を稼ぐためのアルバイトと、海外旅行に明け暮れていました。それが本屋という形で役に立つ日が来るなんて思ってもみませんでした」

旅先で得た縁で働き始めた「BOOK246」では店長を任されるようになり、本のセレクト、企画から経理、総務、アルバイトの面接と何でも自分でこなした。ここで学んだ本屋を一人でまわす経験が、今の店でも生きている。寝る間も惜しんで夢中で働いた「BOOK246」は、黒崎さんにとって「親友であり、恋人であり、家族のような存在」。それだけに、閉店が決まったときは大きな喪失感に苛まれたという。

「ショックでした。246で知り合った仲間がたくさんいて、その人たちとの接点がもうなくなってしまうんだなって。でも、だったら自分で店をやるしかないって腹が決まってからは、みんなと再会できる店をつくるから待っててねという気持に切り替わりました。結局そのあと3年かかりましたけど(笑)」

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自分で店をやろうと決めた時、写真集の店以外には考えられなかったという黒崎さん。ただし、写真集の専門店となれば新刊書だけでは難しく、アメリカやヨーロッパの輸入本などを含めた古書をメインにする必要があった。古書を扱った経験がなかった黒崎さんは、まず修業しようと神保町のアート本や写真集を販売する古本屋でアルバイトを始める。

「ここで3年間みっちり、古本がどう売り買いされているかといった市場のこと、お客さんとの接客などあらゆることを勉強しました」

写真を選ぶ基準は「今発信すべきことか?」

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店では、2〜3週間に一度はギャラリースペースで新しい写真展を開催している。取材で訪れた日に展示されていたのは、旅をテーマにしたライターによるスナップ写真。店に置く本のセレクトも、写真展も、何を取り上げるかの基準は「今、発信すべき内容か?」だという。

「メッセージ性や新しさがあるか、今の時代に必要なものかという点を大事にしています。今回の展示は、プロの写真家に限らず、誰でも作品を撮れるってことが一つのメッセージです」

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▲提供するコーヒーも、展示内容に合わせて毎回バリスタチームが豆を選ぶ。

「自分で店をやろうと決めた時、私ができることって何だろう?って改めて考えたんです。そしたら、自分が学んだことをお客さんに伝えることかなって」

黒﨑さんの写真に関する知識は驚くほど豊富だ。というのも、写真集を手にするたびに、独特の見方をしてきたから。

「写真集を見るとき、私は写真家の一生、その国の歴史、印刷業界やカメラの歴史年表を並べてその背景を調べるんです。そうして見ていくと、最初の印象が、違った印象に変わっていく。この写真家はいったいどんな気持でこの写真を撮ったんだろう?それはどんな時代背景で、周りでは何が起きていたのか。そんなことを考えていくと、その表現手段を選んだ理由がわかったり、ほかの作家とのつながりが見えてきたりするんです」

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そうした「本には載っていない情報」を、黒﨑さんは訪れたお客様にも惜しみなく伝える。
例えばこんな感じ。

「この写真集はVOGUEの特集が元になっているんです。まだ旅が一般的でなかった時代にいろんな国へ行って、民族衣装を撮ったもの。当時は自然光での撮影は画期的なことでした」

「これは光と影の詩人と言われるチェコ・プラハの写真家。この方、戦争で右腕を失っているんです。左腕一本で重いカメラを持ち、街並を撮り続けた人」

話に耳を傾けていると、一冊の写真集への見方がどんどん変わっていくから不思議だ。

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次の10年は家族のための時間

好きなことを追求して29歳で本屋をつくる夢を実現させた黒崎さん。目の前のことに夢中になって取り組んできた結果だけれど、それと同じくらい、10年先の未来も見据えている。

「20代のうちに自分のお店を持てたらいいなと、ずっと思っていたんです。会社員だと、子どもができたらいつまで働けるのか、いつ職場復帰できるのかなど、自分ではどうしようもない部分も多いですから。その点、自分の店があれば店先で子どもが遊んでいてもいいし、好きな仕事を続けられると思ったんです」

今、店のレジ奥のスペースは、編集者兼カメラマンの夫・小林昂祐さんの仕事場でもある。BOOK246時代に出会った小林さんは旅雑誌の編集者で、現在はフリーランス。事務所が欲しいと考えていたこともあり「じゃあ店の奥を事務所にしよう」と、同じ空間で仕事をすることになった。

家族が傍にいれば、子育ても協力しやすいだろう。さらにはこれから先、スタッフにお店の運営を任せることを見越して、今から準備を始めている。自分の頭の中だけにある運営ルールを他の人にも共有できるよう基盤づくりをすること。この店のルーティンを確立して、お店が2周年目に入る頃に子どもが一人いたら理想的だなと話す。

そして30代からは、家族のために時間を使いたい。
「20代は時間もお金も自分のことに費やしたけど、10年後は父母も介護が必要になるかもしれないし、子どものことも考えると、30代は家族のために時間を使いたいなと思っているんです」

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家のように、ほっとできる店にしたい 

お店を開く場所を井の頭にしたのは、夫の実家が近いからでもあった。もともと黒﨑さんの実家は浅草近辺で、はじめは店を出すのも下町に、と考えていた。

「でも私は嫁いだ身だし、その覚悟を示す意味でも、この先長く子育てすることを考えても、主人の実家に近い場所がいいなと思い直しました。初めてここを見に来たとき、ちょうど商店街のお祭りをやっていて、下町感があっていいなって。ここでなら周りの人たちとも家族ぐるみのお付き合いができると思えました」

店の売上だけを考えれば、駅周辺の繁華街の方が人通りは多いかもしれない。でもゆっくり写真を見てもらうためにはこのくらい落ち着いた場所の方がいいし、友達の家に遊びに行くような感覚でふらりと立ち寄れる場所であってほしいと黒崎さんは話す。

「写真集の専門店だからと気構えずに、いろんな人に遊びに来てほしいんです。友達の家に遊びに行ったら、たまたまそこにいい本があったというくらいの気軽さがいいなと思っていて。本当はお店の名前も“うちんち”って名前にしたかったくらい(笑)」

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これからこのお店を、どんな風に育てていくのだろう。

「旅をしていた頃、旅が楽しいのも帰れる場所があるからだって気付いたんです。待っていてくれる家族がいて、おいしいごはんがあって、ふかふかのベッドがあって……その当り前のなんて豊かなことか!って。だからこの店も、家のようにほっとできる場所になったら一番いいなと思っています。ここでいい写真を見て、よーしまた頑張ろうって思ってもらえるような」

自分がやりたいことに邁進するのは、ある意味とてもシンプルな行為かもしれない。でも、ライフステージの変化と自分のやりたいことを調和させ、両輪で進めていくためには、綿密な計画や実行力がいる。計画通りにいかないこともあるだろう。それでもトライを続けた人にだけ、好きなことを稼業にする道が拓けるのだと、黒崎さんを見ていて思った。

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三鷹市井の頭4-21-5-103
営業時間:12〜20時
定休日:火・水曜日(土日、祝日営業、火・水曜日が祝日の場合翌日が定休日)

文:甲斐かおり
写真:庄司直人