【商いの​コト】特集:ものづくりの、​一歩先へーマルヒロ

成功も​失敗も、​すべては​学びに​つながる。​ビジネスオーナーが​日々の​体験から​語る​生の​声を​お届けする​「商いの​コト」。​今回から​3回に​わたり、​九州で​ものづくりに​まつわる​商いを​する​方々を​紹介します。​伝統的な​ものづくりを​続けながらも、​変化を​敏感に​捉え、​新しい​ことに​取り組む​その姿は、​きっと​私達にも​ヒントを​与えてくれるはずです。

つなぐ加盟店 vol. 50 有限会社マルヒロ馬場匡平さん

まずは​自分の​友人に​買って​もらえる​ものを​つくる。​口で​言うのは​簡単だが、​400年の​歴史ある​産地で、​既存の​イメージを​覆すものづくりを​するのは​難しい。

だが​馬場匡平さんは、​そのハードルを​軽々と​乗り越えてきたように​見える。​ヒントは​“身の​丈の​ものを、​身近な​人たちと​つくる​こと”。​自らの​足りない​ところを​無理に​補うのではなく、​周囲に​頼りながら、​仲間と​つながり、​面白がって​仕事を​する。​そのやり方は、​これまでにない​新しい​経営スタイルのように​思う。

苦境の​中から​ヒット商品を​生み出した、​起死回生の​物語を​聞いた。

わけが​わからないままに​手伝い​始めた​家業

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青い​キャップ帽に​濃いヒゲ。​茶目っけの​ある​顔でに​こに​こと​現れたのが​馬場匡平さん。​方言と​ユーモアの​入り交る​話ぶりに​思わず​引き込まれる。​不思議な​魅力の​持ち主だ。​
訪れたのは​マルヒロの​直営店。​店の​床を​支えるのは、​ぎっしりと​積み上げられた​不良品や​廃棄に​なった​焼きしめの器。​看板商品である​カラフルな​マグカップを​はじめ、​薄さと​マットな​風合いが​人気の​ソークシリーズ、​蕎麦猪口大事典などこの​10年間で​馬場さんが​出してきた品が​並ぶ。

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長崎県波佐見町は、​長年、​隣町の​有田焼きの​下請け業と​して、​焼き物を​生産してきた。​徹底した​分業制で​生地屋、​型屋、​釉薬屋…と​小さな​工房が​軒を​連ねる。​マルヒロは、​馬場さんの​祖父の​時代に​露天商と​して​創業し、​父の​時代に​産地問屋と​して​オリジナルの​食器を​企画販売する​事業を​行ってきた。

専門学校を​卒業後、​大阪や​福岡で​働いていた​馬場さんが​実家に​呼び戻されたのは、​23歳の​時。​経営が​芳しくなく、​若手社員の​退職が​続く​中で​最後の​切り札だった。

「特に​焼き物に​関心が​あったわけではなかったです。​しかも​戻ってきた頃の​給料は​5万円。​正直、​その世界で​飯が​食っていけるとは​まったく​思えんかったですね。​だって​いっぱい​あるでしょう、​食器なんて​他にも。​それでも​ゴロゴロ重い荷を​引いて​東京の​問屋に​営業に​行くわけですが、​嫌で​仕方なかった」

買って​ほしい​相手は、​“自分の​友人たち”

転機と​なったのは、​中川政七商店の​中川淳さんとの​出会いだった。

「父が​中川さんの​本を​読んで​コンサルティングの​依頼を​しようと​言い出したんです。​2人で​中川さんに​会いに​奈良まで​行きました。​忘れもしません、​話が​まと​まった​時に、​父ちゃんが​『じゃ​あよろしく​お願いします、​あとは​息子と』って。​丸投げですよ​(笑)」

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それからが​必死。​毎月​中川さんから​出される​大量の​宿題を​こなしながら、​新ブランドの​開発を​進めていく。​伝統工芸の​世界で​新ブランドを​展開すると​なれば、​有名デザイナーや​プロデューサーに​コンセプトから​流通に​至るまでを​設計して​もらうのが​主流だ。

「でも​そんな​お金ないですから。​デザイン、​形に​至るまで​全部​自分でするしかないって​中川さんに​言われて。​まず​僕ら若い​モンが​売るから、​マグカップが​いいだろうと。​やっぱり​売る​人が​その​商品の​ことしゃべれんば​モノって​売れんとですよ。​雑誌や​何かを​切り​貼りして、​こういう​世界観で、​こういう​ものを​つくりたいと​いう​プロットを​つくっていきました」

社内の​デザイナーと​イメージを​固める​中、​「無骨で​丈夫、​カラーバリエーションが​豊富な、​使い勝手の​いい​道具」と​いった​コンセプトが​生まれた。​しかし、​従来の​波佐見焼きの​「白くて​薄い​磁器」とは​真逆の​イメージ。​その選択に​怖さは​なかったのだろうか。

「むしろ​焼き物に​興味がなくても​いい、​自分と​同世代の​友人たちに​買って​もらえる​ものを​つくろうと​考えたんです。​洋服や​インテリア、​音楽を​好きな​自分と​同じ​時代を​生きる​人たちに​売る​方が、​共感も​得られるし楽しいんじゃないかなって。​その​考え方が​今も​基本に​なっています」

そこには​伝統産業だから、​産地だからと​いった​気負いはなく、​シンプルに​自分の​友達に​喜んで​使って​もらえる​ものをと​いう​思いが​ある。​馬場さんの​選択は​常に​自分目線、​身の​丈で、​それが​多くの​人に​受け入れられる​大きな​要因だろう。

カラフルで​ポップな​マグカップ​「HASAMI season01」は​そうして​生まれた。​この​シリーズは、​全国の​セレクトショップなどに​年間9万5千点を​出荷する​ヒット商品と​なり、​アパレルメーカーから​OEMの​依頼も​相次ぎ、​マルヒロは​新たな​方向へと​舵を​切った。

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身の​回りに​いる​人たちと、​身の​丈に​合った​ものを

新ブランドの​開発を​進めていた頃、​はじめは​中川さんの​店に​置いて​もらいやすい​ものを​と安易に​考えていたと​いう​馬場さん。​数ヶ月が​過ぎた​頃​「本当に​これで​よかと?」と​聞いてきたのが​プロジェクトを​一緒に​進めていた​デザイナーの​新里李紗​(りさ)​さんだった。

「自分の​興味のなかとに、​これから​何年も​せんばとよ。​ほんとに​いいと?って。​今​思えば​自分の​ことようわかってくれとったんですね」​ 

本気の​スイッチが​入ったのは​それからだ。​心から​つくりたいと​思える​ものを​つくろうと、​まずは​1個500円以内と​決めて​50個の​マグカップを​買い集めた。

「自分では​どんな​カップが​使いやすいかもわからんから、​近くで​働く​おばちゃんたちに​聞いてまわったんです。​身近な​マーケティングですよね。​重ならんけん​いっぱい​買えんと​よ、とか​持ち手は​こういう​方が​持ちやすいとか。​いろいろ​学びました」

さらに、​周りの​生産者にも​助けられた。

「家業に​入って​1年や​そこらの​若造の​言う​ことって、​普通まともに​職人さんに​聞いて​もらえんでしょう。​でもうちで​付き合いの​ある​職人さんたちは、​気付けば​父の​同級生や​弟の​同級生の​父ちゃん、​おばちゃんの​親戚とか、​つながりの​ある​人ばかりやった」

こういう​新しい​商品を​つくりたいと​説明に​行くと、​父親の​同級生である​職人が​言ってくれたと​いう。

「波佐見には、​焼き物づくりの​プロセスを​ちゃんと​わかって​売る​商人が​おらん。​お前は​そういう​商人に​なれ。​これから​窯焼き、​生地屋、​型屋、​釉薬屋、​ヘラ屋と​全部電話してやるけん、​行って​勉強せろと。​そう​やって​各職人さんたちに​作業を​教えて​もらいながら​新商品の​ことを​相談していったんです」

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Tシャツのような​食器ブランドを​目指して

season01を​インテリアライフスタイル展に​出展したのが​2010年。​雑誌などで​取り上げられ、​順調に​売上を​伸ばした。​その後も​HASAMIシリーズは​season02、​03と​続き、​現在05sに​至る。

「もともと​思っていたのは、​Tシャツみたいな​食器ブランドに​なりたか​ねって​こと。​要望に​応じて​色や​プリントだけ​変えられるような」

時代も​よかった。​アパレル、​インテリアと​いった​垣根がなくなり、​ライフスタイルショップと​呼ばれる​店が​服も​食器も​取り扱い​始めた頃。

「通常、​商品を​ある​セレクトショップに​置くと、​同じ​ものを​他店に​置く​ことは​できないんです。​でも​OEMで​あれば元は​同じ品でも​違う​顔の​ブランドに​なるので、​あの​店にも​ここにもと​置く​ことができたんです」

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▲焼き物の​生地で​石や​紙のような​マットな​風合いを​生み出した、​薄くて​軽い​「HASAMI season05s」ソークシリーズ。

波佐見は​もともと​下請けの​仕事が​多い​ため、​色、​柄、​絵付けなど​技術の​幅が​広い。​さまざまな​オーダーに​応えられるのが​強みだ。​だが​その​伝え方に​問題が​あると​気付いた​馬場さん。

「越前漆器を​売っている​人に、​何が​売りなんですかと​聞いたら、​何でも​できる​ことと​言われて、​何でもって​何ですか?と​聞き返した​ことが​あったんです。​つまり​何でも​できるって​いうのは​何も​伝えられていないって​こと。​自分たちも​同じだと​気付いて。​蕎麦猪口大事典を​つくったのは、​技法見本の​つもりだったんです」

約130種の​蕎麦猪口に、​さまざまな​技術を​用いた​柄や色、​絵付を​して​見本と​して​揃えた。​その​ほか、​アメリカの​フォントデザイン会社​「ハウスインダストリーズ」と​コラボレーションして​生まれた​「ものはら」シリーズなど​多彩な​商品展開を​している。

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▲釉薬の​みの​カラーバリエ―ション、​絵付け、​柄などさまざまな​タイプの​蕎麦猪口が​並ぶ​「蕎麦猪口大事典」シリーズ。

この​10年間で​多くの​出会いが​あった。​そこから​生まれた​商品も​多い。

「僕らは​誰か​有名な​デザイナーさんに​企画書を​送って​仕事を​依頼したりした​ことはなくて。​この​蕎麦猪口の​時も​イラストを​描いてくれたのは​みんな​知り合い。​この​10年で​洋服や​音楽、​イラストレーターや​アーティスト、​職人などいろんな​人たちと​出会いました。​まずは​仲良くなって、​この​絵よかやろうって​見せてくれる​ものに、​よかねぇ!って​盛り上がって。​そこから​一緒に​何かしよう​やって​始まる​ことが​多い。​去年東京と​京都で​展開した​ポップアップストアも、​そうした​知り合いとの​コラボレーションが​中心です。​信頼している​仲間なので​こちらから​細かい​オーダーは​しないし、​そういう​仕事の​方が​楽しかですもんね」

遊ぶように​働く。​馬場さんの​仕事は​常に​楽しい​オーラを​放っていて、​それが​見る​者にも​伝わってくる。

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▲馬場さんの​友人たちが​デザインを​施した​蕎麦猪口。

新たな​経営者像

今年8月、​馬場さんは​3代目社長に​就任した。​父親が​ちょうど​60歳に​なり、​馬場さんが​マルヒロに​戻って​10年めと​いう​キリの​いいタイミング。​だが​社長就任後も、​特別に​これまでとやる​ことが​変わったわけではないと​いう。

「先月も​今月も、​自分は​細かな​売上は​知らんですもんね。​数年前に​入社して​もらった​友人に​生産管理や​帳面上の​経理は​すべて​任せています。​得意な​人が​やった​方が​よかでしょう。​周りからは​社長が​売上を​見らんば、​経営も​勉強した​方が​いいと​言われるけど、​それは​皆さんの​社長像であって。​今​自分が​力を​割いている​ことが​おろそかに​なる​方が​困るんじゃないかなって​思ってます」

マルヒロは、​社長の​馬場さんが​すべての​責任を​負っていると​いう​より、​社員全員に​持ち分が​あり、​支え合って​絶妙な​バランスで​成り​立っているのだと​わかる。​馬場さんは​クリエイティブに​関しても​細かい口は​出さない。​大まかに​こういう​ことができたら​いいねと​いう​依頼だけして​任せる。​逆に​スタッフから​提案が​あれば​「どうぞどうぞ、​やってください」。​
馬場さん​自身は、​次は​こういう​ことを​展開したら​面白いんじゃないか、​あの​人と​こんな​ことができないかと​常に​考えながら、​全国を​飛び回っている。

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▲社長就任を​記念して​作った​シール。

“モノ”からの​脱却

馬場さんが​戻って​この​10年間で​会社の​売上は​6倍に、​自身の​給料も​当初の​10倍に​なった。​ところが​今、​伸び続けてきた​数字が​横ばいに​なっている。

「これから​先、​モノを​つくっているだけでは​駄目だと​思っているんです。​作り手も​歳を​取って​これから​もっと​減っていく。​そうしたら​今のような​数は​つくれんですもん。​材料の​調達面でも、​廃棄の​面でも​いろんな​規制が​厳しくなって、​たくさんつくってたくさん​捨ててと​いう​やり方は​難しいなと」

そこで​考えているのは、​まったく​毛色の​違う​事業。​食器の​売上が​落ちる​夏には、​町の​講堂で​かき氷を​売ろうと​考えている。​さらに、​小さな​子ども​たちが​遊べる​大きな​公園を​波佐見に​つくりたいと、​最近​1,000坪の​土地を​購入した。

「僕らのような​産地って、​いま工場見学で​人を​集めるような​手法が​王道に​なっていますよね。​ただ​波佐見は​分業が​進んでいるので​一箇所ですべての​製造工程を​見る​ことができないんです。​地元の​子ども​たちも​現場を​見る​ことのないまま​大人になる。​もっと​小さな​頃から​見られる​現場が​あったら​いいなと​思うんですが、​工場見学と​いうと​お客さんを​狭めてしまうので、​公園が​入り口で、​その奥に​小さな​生地屋、​焼き物屋が​集まっているような​場所に​したいなと。​また夜は​そこで​スケボーが​できたり、​映画が​見れたり、​デートスポットにもなったら​よか​ねって。​外国の​人たちにも​来て​ほしいですね」

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馬場さんの​思い描く​マルヒロは、​もは​や​食器メーカーを​はるかに​超えた​企画会社のようだ。

「何か​面白か​会社ね​ぇって​思って​もらえれば​いいかなって。​焼き物は​もちろんうちの​コア事業である​ことには​変わらんけど、​モノを​つくるだけでなく、​いろんな​チャンネルを​持っておく​ことが​これから​大事な​気が​します。​何ばしよる​会社かようわからんけど、​若い​人にかっちょよか​ねって​思って​もらえるような。​そんな​会社を​目指していきたい」

産地を​ベースに、​これからも​新しい​展開を​続けていく​マルヒロ。​そこには​自社だけでなく、​町づくりや​産地の​行く​末を​見つめる​目が​ある。

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マルヒロ直営店
佐賀県西松浦郡有田町戸矢乙775-7
西九州自動車道​「波佐見有田IC」すぐ​そば
Tel : 0955-42-2777
営業時間: 10~17時
定休日: 毎週​水曜、​第3土・日曜

文:甲斐か​おり
写真:藤本 幸一郎