業界が1年で最も忙しくなる、バレンタインのシーズン。xocol(ショコル)はいま、3度目のそれを迎えている。原料から製造しているため、一般のチョコレートを扱う店よりずっと早く、繁忙期がやってくる。
ショコルのオーナー、君島香奈子さんがチョコレートの製造と販売を生業とするようになったきっかけは、まったくの偶然から。旅先のフィリピンで、現地で非常にポピュラーなカカオドリンクを飲んで衝撃を受けたのだ。
「私が知っていたホットチョコレートやココアドリンクとはまったく違うものだったんです」。カカオ豆の脂が浮いているかなり濃厚な味で、正直、すぐにおいしいとは思えなかったが、何度か飲み、いったん慣れてしまうと虜になった。それまではチョコレートを食べると必ず起きていた肌荒れも、なぜかまったくない。そのおいしさと不思議さに好奇心と探究心をくすぐられ、帰国後、自分なりに原料や製造方法を調べ始めた。
折しも時は、「bean to bar」の最盛期。カカオ豆の焙煎からチョコレートにするまでの製造工程を一貫して行うことで、豆の味をストレートに楽しむシングルオリジンのトレンドがアメリカにあると知り、自分なりに自作するようになっていった。
一般的なチョコレートには、油脂や乳化剤、香料などが添加されている。製菓で使われるクーベルチュールにも、純粋なカカオの他に、ココアパウダーやココアバターが含まれているのだ。扱いやすさや原価率などさまざまな事情で加えられたそうしたものを取り除き、最低限の原料だけでつくった、ピュアなチョコレート。それがおいしさの秘密と肌荒れしない答えだということを、君島さんは自らの研究によって導いたのだった。
そうした経験だけを頼りに、国内ではまだほとんど存在しなかったbean to barの世界に、ひとりで飛び込んだ。しかも、飲食業界も初めてのこと。
「最初は発送の仕方から何からわからないことだらけで、自分が何をやっているのかわからない局面も多々ありました(笑)。けれど、bean to barをやっている人たちは国外にはすでにいるわけだし、飲食店をやっている人だってたくさんいるのだから、私にもやってできないことはない、と思ったんです」
ただ、シンプルな原料と工程なだけに、原料と機械があれば誰にでもつくれてしまうことも確か。そこで、自分だけの強みをもとうと着目したのが、カカオ豆を挽く機械だった。メーカーに頼んで、小麦や蕎麦を挽く石臼をチョコレート用にカスタマイズしてもらった。世界で1台の、ショコルの切り札だ。1日かけて3回挽くことで非常にきめ細やかな仕上がりになるため、コンチング(練り上げる作業)を必要としない。素材に触れるのは最低限で済む。その意味するところは、素材の味がよりそのまま残るということ。酸味も含めたワイルドなカカオの味わいを、ストレートに楽しめるというわけだ。
「従来のチョコレートもおいしいですけれど、素材をシンプルに味わうというのはこれまでにない楽しみ方で、新鮮ですよね」。同じ原料でも、つくり手や製法によって仕上がりの味が変わってくるのが奥深い。工房にはスパイスの瓶が並んでおり、聞けば、これまでの商品群とは違ったアプローチの新作を試作中なのだとか。「将来的にはカカオを使った料理も提案してみたい」と、その静かな語り口とは裏腹にチャレンジ精神旺盛の君島さんのチョコレートは、これからどんどん進化を続けていくのだろう。
xocol
東京都世田谷区深沢5-1-23
文:野村美丘(photopicnic)
写真:藤田二朗(photopicnic)