【商いの​コト】特集:ものづくりの、​一歩先へー宝島染工

成功も​失敗も、​すべては​学びに​つながる。​ビジネスオーナーが​日々の​体験から​語る​生の​声を​お届けする​「商いの​コト」。​3回に​わたり、​九州で​ものづくりに​まつわる​商いを​する​方々を​紹介します。​伝統的な​ものづくりを​続けながらも、​変化を​敏感に​捉え、​新しい​ことに​取り組む​その姿は、​きっと​私達にも​ヒントを​与えてくれるはずです。

つなぐ加盟店 vol. 52 宝島染工 大籠千春さん

自分の​道を​人生の​早いうちに​決められる​人は、​自分の​ことを​よく​わかっている​人かもしれない。​好きな​こと、​できる​こと、​できない​こと、​長く​続けられる​ことを。​
大籠千春​(おおごもりちはる)さんも​早くに​ “染色”と​いう​道を​決め、​幅広く​染めの​仕事を​経験した上で​“天然​染め”専門の​工房を​立ち上げた。

そうして​選んだ​仕事が​社会の​中で​役割を​果たし始めると、​よりはっきり​その​価値や​意義が​見えてくる。​天然​染めを、​大量生産に​応えられる​技術にし、​後世につなぐ​こと。​大籠さんは​その役目を​果たすために、​日々​奮闘している。

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“好きな​こと”に​忠実に

福岡県の​南西部、​久留米市の​南に​位置する​大木町。​住宅街の​一角に​「宝島染工」の​工房は​ある。​お話を​伺ったのは、​工房から​50メートルほど​離れた​古民家。​ショールームと​して​設えられた​空間に、​藍や​草木染めの​ストールや​シャツが​涼しげに​揺れていた。​
おかっぱ頭に​丸メガネと​いう​大籠さんの​第一印象は、​おおらかで​芯の​ある​女性。​話すうちに、​時折いたずらっ子のような​目で​率直に​物を​いう​愛嬌の​ある​人だと​わかってきた。

子ど​もの​頃から​絵を​描くのが​大好きだった。​その“好き”と​いう​気持ちに​忠実に、​高校では​グラフィックを​専攻。​だが​将来の​職業を​考えた​とき、​広告や​印刷の​仕事より、​ものを​つくる​仕事を​したいと​思うようになる。

「人が​使う​ものの​方が​面白いなって。​そしたら​布に​関わる​仕事が​いいなと、​手工芸を​学べる​短大に​進学して、​染色を​専攻しました。​私は​器用じゃないのであれも​これもは​できないと​思っていたんです」

卒業後に​就職したのは、​天然染を​手がける​婦人服メーカー。​手間を​かけて​作る​分、​値段も​張る。​50〜60代に​ファンの​多い、​作家性の​強い​ブランドだった。​
2番目の​就職先には、​同じ​染めでも​まったく​違う​分野を​見てみたいと、​商業的な​製品の​染めを​請け負う​工場へ。

「暖簾や​舞台の​幕などの​商材を​製作している​工場でした。​店舗用の​暖簾などは​フルオーダーで​手作業が​多いんです。​福岡では​年に​2回大きな​お祭りが​あって、​手ぬぐいの​染めなども​何千枚と​請け負っていて。​季節ものや​地域の​仕事など、​幅広い​需要を​知る​機会に​なりました」

小さな​工場だった​ため、​営業の​仕事も​担当した。​染めの​仕事が​終わって​17時頃から​得意先を​まわり​打ち合わせ。​顧客との​関係づくりや​情報収集など、​後に​経営者と​して​役に​立つ知識の​多くを、​ここで​身に​つけたのかもしれない。

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再び天然染を。​独立への​道

そうして​10年ほど​知識や​経験を​積んだ頃、​大籠さんは​「天然​染めに​戻りたい」と​考え始める。​ところが​働き口は​そう簡単に​見つからない。​福岡で​藍染めと​いえば​久留米絣が​有名だが、​人を​雇用する​体力の​ある​工房は​少なかった。

「どうしたら​い​いかなぁと​思いながら、​自分で​オリジナルの​染めの​Tシャツを​つくって​販売するなど、​試しに​始めてみたんです。​そしたら​当時の​取引先で​知り合った​アパレルの​方が、​うちで​発注するから​自分で​やってみたらと​言ってくれて」

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▲ショールームには、​オリジナルの​服や​ストールなどの​製品が​並ぶ。

独立への​気持ちを​後押しした​要因の​一つに、​ものづくりの​環境の​変化を​感じ始めていた​こともある。

「化学染料が​悪いとは、​私は​みじんも​思わないです。​すごい​技術だし、​日本人は​そうした​加工が​とても​得意。​でも​排水の​処理方法など、​環境面で​疑問を​感じる​ことも​多かったんですね。​こんな​こと​いつまで​やるんだろうって。​自分が​独立すると​したら、​色々できなくても、​天然​染めに​特化するので​いいんじゃないかなって​思いました。​その方が​廃棄も​シンプルに​なりますし」

どこに​いても​ものづくりが​できる​時代に​なった、と​感じても​いた。​これだけ​流通が​発達し、​データでの​やりとりが​当たり前になると、​遠方に​発注する​ストレスもなくなる。​福岡に​いても​都心の​アパレルメーカー相手に​十分​仕事が​できると​考えた。

「独立したのが​ちょうど​30歳の​時。​大コケしても、​まだ​一人​分の​コケで​済むと​思ったんです。​結果が​出るまでに​何年も​時間が​かかる​世界なのでとにかく​やってみるしかない。​スタートを​切らない​ことには​結果も​わからないですから。​10年後、​40歳になる​頃に​なんとか​なっていたら、​この​道で​やっていけるんじゃないかと​思いました」

半年間、​岡山県の​児島の​工場で​天然​染めの​感覚を​取り戻した後、​福岡に​戻り、​「宝島染工」の​設立に​踏みきった。

天然​染めを​量産できる​工房へ

独立してからの​数年間は​つくる​ことに​専念した。​染色、​検品、​納品…の​繰り返し。​藍染だけでなく、​泥染めや​草木染めなどの​レシピも​開発していった。

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▲大籠さんの​爪は​常に​藍色に​染まっている

大籠さんが​この​仕事を​する​上で​“キーに​なる”と​考えていたのは、​天然​染めだけで​いかに​量産できる​体制を​整えられるかどうかだ。

「極端に​いえば、​5枚染めるのは​誰でもできるんです。​でも​500枚染めるとなると、​それなりの​組み立て、​クオリティの​安定を​考えなければなりません。​アパレル相手に​仕事するには、​安定した​クオリティと​量産が​求められる。​色ムラを​なく​すために​少量で​つくって​試して、を​繰り返します」

自分には​これしかないと​決めた​天然染色の​道。​いいと​信じる​ものを​これからの​時代に​存続させていけるかどうか。​それが​この​仕事に​かかっていると​感じた。

「結局​自分が​若い頃、​働きたくても​こういう​職場が​なかったんですよね。​アパレルに​天然染色を​生か​すって​市場は​確実に​ある。​でも​これを​仕事と​して​成立できないと、​結局​こういう​ものづくりって​仕事と​して​無理、​駄目じゃんって​話に​なっちゃう。​多くの​伝統工芸が​そうであるように、​次の​時代になくていい​ものになってしまうと​思うんです。​自分では​絶対的に​いい​ものと​確信していても、​ビジネスに​して​導線を​つくらなければ​世の中で​成立しない。​それが​自分の​役目かもしれないなって。​そのために、​ある​程度の​規模の​下請けを​やって​市場を​広げたいと​思っています」

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自然の​流れで​始まった、​オリジナルブランド

「本当は、​OEMの​仕事だけで​生業が​成り​立てば​それで​よかったんです」

ところが​宝島染工は、​10年ほど​前から​オリジナルブランドの​服を​つくり始める。​その背景には、​外からは​見えに​くいファッション業界の​変化が​あった。

「以前は​色見本だけを​見せて、​この​生地で​こんな​シャツつくったら​どうかなと​いった​やり取りから​服の​企画が​決まっていたんですね。​生地や​染色から​要素を​引き出して​商品に​昇華していくのが​企画者の​仕事。​ですが​アパレル側の​企画者が​減ってきて、​この​方法では​提案が​通なくなってきたんです。​こちらで​9割以上​形に​して​わかりやすく​プレゼンしないと​決まらない。​生地も​こちらで​選んで、​形も​素材も…と​いう​仕事を​している​うちに、​これ売っても​いいんじゃないかと​思える​サンプルが​できていったんです」

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元は​OEMの​ための​サンプル。​その服を​売ってみたいと​思うようになるが、​同じ​業界には​クライアントが​たく​さんいて​競合に​なるのは​避けたい。

「そうなんです、​クライアントと​同じ​場所で​売ってしまうと​バッティングするので​やや​こしいんですね。​それで、​まずは​海外行こうって。​海外で​展示会を​行う​ことを​考えました」

2016年、​宝島染工は​オランダの​アムステルダムで​初の​合同展示会に​参加した。​もともと​芸術や​クラフトを​好きな​人が​多い国。​反応は​上々だった。

海外で​展示会を​行った​ことで​国内でも​認知度が​上がり、​展開が​しやすくなった。​目の前に​壁が​ある​とき、​目先を​変える​ことで​道が​拓ける​ことがある。​最近では​クライアントと​同じ​場所に​オリジナルブランドが​並ぶようになり、​「求められる」環境も​整ってきている。

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▲オリジナル定番の​シャツ

OEMは​やめない

宝島染工の​服は、​年齢や​性別など​着る​人を​選ばない。​ニュートラルな​デザインで、​サイズも​ゆったりめ。​それで​いて​羽織ると​軽やかで、​美しい​ラインが​出るようデザインされている。

さらに、​毎シーズン新しい​商品を​出し続けるのではなく、​定番を​増やしていく​スタイル。​ベーシックな​ラインは​つくり続け、​新しい​ものは​リミテッド​(期間限定版)​や​柄と​して​入れる。

オリジナルブランドは​少しずつ​人気と​なり、​今や​OEMと​オリジナルの​売上比率は​5:5。​それでも、​OEMは​やめられないと​大籠さんは​話す。

「確かに​OEMの​仕事だけでは​いわれるばかりできついですし、​自由に​できる​オリジナルが​あると​精神的には​すごく​いいです。​でも​OEMを​やめちゃったら​下手に​なると​思うんです。​同じ​ものを​量産すると​確実に​技術力は​上がりますから。​技術の​制限を​簡単に​つくって​やった​ことのない​ことを​やらなくなっちゃう。​相手の​要望に​応えようと​チャレンジするのが​OEMの​いい​ところ。​だから​今の​バランスが​ちょうど​いいですね」

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▲工房内での​作業

経営者と​しての​顔ももつ。​数字は​苦手と​いいながらも、​できるだけの​ことは​しようと、​毎月の​給料に​加えて​ボーナスなどの​手当も​出している。​現在、​スタッフは​8名。​この​人数から​大きく​増や​そうとは​思っていないが、​一人​一人の​腕が​上がれば、​今より​生産性も​上がると​見込んでいる。

「ただ、​私は​100パーセント計算して​やっていけない​性質​(たち)で。​3割は​計算するけど、​3割は​これやったら​面白いな、​売れないけど​やってみたいと​いう​トライアルです。​オリジナル品では、​定番は​買いやすいよう3万円以内と​いう​価格を​一つの​目安に​していますが、​そうでない​遊びの​部分は​10万円に​なっても​やりたい​ことを​形に​する。​つまり、​3割は​常に​不安定なんです​(笑)」

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より​生っぽい方を​買いたい

ものの​売れ方も​10年前と​は​ずいぶん​変わった。​ネットショップや​実店舗など、​売り先の​幅も​広がっている。

「昔みたいに​ネームバリューが​あって​安定している​店とだけ​お付き合いしていれば​安心と​いう​時代ではないので、​取引先は​あまり​限定しないようにしています。​基準が​あると​すれば、​大量に​売ってくれる​相手よりも、​長く​お付き合いのできる​人。​一度に​300枚売ってくれる​人より、​毎シーズン30枚売ってくれる​相手を​大事に​しています」

SNSが​普及し、​お客さんから​も​つくり手の​ことが​よく​見えるようになった。​どんな​人が​どんな​思いでつくっているのか。​知りたいと​思う​人が​増え、​知った上で​欲しいと​思う。

「ニンジンを​買いたいなと​思った​時、​ちょっと​高くても​スーパーより​産直市場などで​買う​人が​増えていますよね。​服も​そういう​感覚に​近いのかなと。​より​生っぽい​ものが​欲しい。​こういう​工房を​見に​来たり、​私のような​作り手の​話を​聞きに​来てくれる​人も​多いです。​ものだけを​買うのではなく、​そうした​体験も​含めて​買うような​感覚なのかなと。​つくり手の​ストーリーを​伝える​ことも​大切だなと​思っています。​近々、​工房の​近くに​直営店も​オープンする​予定なんです」

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▲藍染を​する​染色場

作り手と​して、​大籠さんは​ものが​お客さんに​届くまで、​どう​いう​ものが​どんな​風に​選ばれているかに​敏感で、​時代の​流れを​捉えている。

自ら​選んだ​“染色”と​いう​軸に​しっかり​沿って​生きているから​こそ​周りの​変化が​見えやすく、​立ち返る​場所が​あるから​柔軟で、​自由に​冒険が​できるのかもしれない。

「自分の​デザインが​古臭いなと​思ったら、​どんどん若い​人たちの​意見も​取り入れていこうと​思っています」

大籠さんの​道は、​細くなったり​太くなったりしながらどこまでも​つながる​一本の​糸の​ようだ。​これから​先、​ほかの​糸も​合わさり​撚り紡がれ、​宝島染工と​いう​ブランドが​より​強くなっていく。​その時、​天然​染めの​文化も、​次の​時代に​しっかりと​つながるのかもしれない。

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宝島染工
福岡県三潴郡大木町横溝2068-1
Tel : 0944-33-0935
営業時間: 9~17時
定休日: 毎週土・日曜

文:甲斐か​おり
写真:藤本 幸一郎