【商いの​コト】ショウヤ・グリッグさんに​聞く、​アーティストである​ことと、​ビジネスを​成り​立たせる​こと

つなぐ加盟店 vol.77 そも​ざ ショウヤ・グリッグさん

お金を​稼ぐのが​ビジネスマンで、​自分の​感性に​従って​つくりたい​ものを​表現するのが​アーティスト。​一見​相容れない​この​二つを、​矛盾なく​両立できる​人が​いるのだと​知った。

自分の​作品と​して​空間を​創り、​多くの​人が​その​場に​惹かれて​集まり、​結果と​してお金も​生み出す。​北海道倶知安町に​ある​「そもざ」は​その​一つ。

オーナーの​ショウヤ・グリッグさんは、​栃木県から​移築した​築150年の​古民家に​ギャラリー、​ショップ、​飲食店が​一体​化した​複合施設を​創り上げた。​それぞれが​独立した​機能と​してではなく、​空間全体を​通して​北海道を​はじめ、​日本の​文化、​伝統、​自然の​魅力を​感じられるような、​五感を​刺激される​場に​なっている。

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アートも​飲食も​音楽も。​すべてを​通して​北海道の​魅力を​伝える

訪れたのは​8月下旬。​昼は​まだ暑く、​虫の​声の​やまない​北海道の​夏だった。​簡素な​木の​枠で​できた​門には​薄い麻ののれんが​揺れている。​いざ建物に​足を​踏み入れると、​すっと​背筋が​伸びるような​空間で、​いい​香りに​ほど​よい​緊張感を​感じる。

元は​縁側だったと​いう​廊下は​全面ガラス張りで、​眼下に​生い​茂る​木々や​川などの​大自然が​広がる。​手前は​ショップで​奥が​飲食スペース。​キッチンでは​若いスタッフが​数名、​きびきび立ち働いていた。

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ほどなくして​現れた​ショウヤさんは​パリッと​した​シャツに​身を​包み、​穏やかな笑みを​浮かべて​流暢な​日本語で​こんに​ちはと​迎えてくれた。
​「ゆっくり話すのは​食事を​摂りながらに​しましょう。​まずは​中を​ご案内します」

後に​続いて​地下へ​降りると、​そこは​ギャラリーだった。​もともと​撮影用の​スタジオと​してつくられた​空間で、​今は​彫刻や​絵画などが​並ぶ。​縄文時代の​石や、​アイヌの​木彫り、​倭人が​アイヌ民族と​出会った​場面が​描かれた​古い絵……など、​北海道に​ちなんだ​ものばかり。​ショウヤさんが​知人から​譲り受けたり​購入したりして​集めた​コレクションだ。

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「一般的に、​カフェは​カフェ、​レストランは​レストラン、​アートは​ギャラリーと​いった​風に​場所は​機能で​分断されていますよね。​でも​そもざでは​そうした​垣根を​取り​払って、​空間全体で​日本の​文化、​北海道の​魅力を​感じて​もらえれば​いいなと​思っているんです。​置いている​ものも​アンティークと​いう​より、​昔​使われていた​道具など​民芸に​近い​ものが​多い。​BGMも​北海道の​自然の​中で​録ってきた音を​もとに​つくられた​もの。​博物館や​美術館のような​堅い​形式ではなく、​音や​食などを​融合して​楽しめる​場所が​あっても​いいんじゃないかと​思ったのです」

急な​階段を​上がり2階の​屋根裏へ。​ここに​しつらえて​あるのは​茶室。​8畳ほどの​座敷に​小さな​採光口から​自然光が​差し込んでいる。​一部、​土壁など​日本の​古い​民家の​造りが​わかるような​工夫も。

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続きは​食事を​摂りながら……と​促され、​階下へ。​元は​馬小屋だったと​いう​テラス席は、​いまや​外の​緑が​一望でき、​風の​吹き抜ける​気持ちの​よい​空間だった。

北海道産の​食材を​ふんだんに​用いた​料理が​一皿​一皿運ばれてくる。​ショウヤさん​自ら、​シェフと​共に​毎月​一度​メニューを​考える​そう。​前菜の​ホタテと​新鮮な​野菜を​和えたカルパッチョに​始まり、​じゃが​いもと​ウドと​胡瓜の​スープ、​ワタリガニと​トマトの​パスタなど、​北海道の​旬を​楽しめる​贅沢な​品が​続いた。

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作品を​つくるように​空間づくりを

ショウヤさんは​イギリスの​生まれ。​10代から​20代前半を​オーストラリアで​過ごし、​日本へ​やってきたのは​24歳の​時。​なぜ日本、​なぜ北海道だったのだろう。

「日本語を​勉強したかった​ことも​ありますが、​4ヶ月ほど​北海道を​自転車で​周ったんです。​その​時に​すっかり​気に​入ってしまって。​お金もなかったし知り合いもいなかったけれど、​どうしても​ここに​住みたくて、​札幌の​シェアハウスに​暮らし始めたんです。​学校では​映画を​学んだ​ことも​あって、​コマーシャル・フォトを​撮る​カメラマンの​仕事を​始めました」

少し​ずつ仕事も​増え、​札幌の​デパートの​撮影など​大きな​仕事も​手がけるようになる。​ところが​次第に、​クライアントの​ための​仕事より、​自分​自身の​作品を​つくりたいと​いう​思いが​大きくなっていったのだそうだ。

「グラフィックデザイナー、​フォトグラファー、​建築家。​どんな​仕事も​そうだけど、​アーティストとの​違いは​何かと​いえば、​クライアントが​いる​ことですよね。​当然​相手の​要望に​合わせなければならない。​その中でも​面白い​仕事を​させて​もらっていたと​思います。​でも​もっと、​純粋に​自分の​中から​湧いてくる​もの、​作品と​呼べる​ものを​つくりたかった。​それと​もう​ひとつ、​カメラマンの​仕事を​している​うちに、​ディレクターや​クライアントに​意見を​求められる​ことが​増えていったんです。​次第に​自分​自身でも​アートディレクションを​手がけるようになって、​自信も​ついていきました」

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もともと​空間デザインに​興味が?

「子ど​もの​頃から​両親が​DIYや​古い​ものが​大好きで、​週末ごとに​フリーマーケットへ​連れていって​もらったんです。​高級な​アンティークではなくて、​ちょっと​した​面白い​ものや​古い​道具を​探して​まわって。​今​思えば​インテリアが​好きに​なるような​環境だったんですね。​札幌に​住み始めた​頃も​お金が​なかったので​ボロの​シェアハウスに​住んでいたけど、​捨てられている​家具を​拾ってきて​自分なりに​インテリアに​凝ったりしていました」

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その後、​自社を​立ち上げ、​周囲に​求められるままに​少しずつ、​空間デザイン、​クリエイティブ・ディレクションの​分野で​実績を​つくっていく。​ホテルと​ダイニングの​融合施設​「J-SEKKA」、​イタリアンレストラン​「SEKKA LAB」、​ビジネスパートナーとともに​始めた​宿​「坐忘林」は、​ショウヤさんの​代表的な​仕事に​なった。

社会的には​成功しても、​満たされなかった

手がける​プロジェクトは​次々と​うまく​いき、​仕事は​軌道にのった。​自宅を​建て、​3人の​子供にも​恵まれた。​はたから​見れば​順風満帆な​暮らしに​見えただろう。​ところが​社会的な​評価を​よそに、​ショウヤさん​自身は​悩んでいたと​いう。

「お金も​得て、​家族もできて、​仕事でも​それなりの​ポジションを​確立できた。​それでもなぜだか、​心から​満たされなかったんです。​何かが​欠けている​気が​して、​モヤモヤして。​本を​読んだり、​セミナーを​受けたりして​考えました。​そこで​得た​一つの​答えは、​自分の​人生には、​安定も​刺激も、​仕事も​あるけれど、​誰かに​貢献する、​Contributionが​足りないのだと。​そう​気付いたんです」

自分の​仕事が、​誰かの​役に​立っていると​感じられる​喜び。​自分や​家族、​身近な​人たちだけでなく、​社会に​還元できる​ことで​得られる​深い​満足感が​ある。​どんな​形で​あれば、​今やっている​ことの​延長上で、​多くの​人に​喜んで​もらう​ことができるだろう。​考えた​末に、​ショウヤさんは​自宅の​庭の​一角に​「そもざ」を​建てる​決意を​する。

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空間には​人の​気持ちを​変え、​インスピレーションの​湧くような​刺激を​与える​力が​ある。​そんな​場を​つくりたいと​考えた。​はじめは​自宅の​庭に​お茶室を​建てる​くらいのつもりだったのが、​どんどん​大掛かりな​ものになっていったのだそう。

そうして​これまでの​集大成とも​言える​そも​ざが、​2017年6月に​オープンした。​日本の​古い​民家を​土台に​は​しているが、​内装は​ただの​“古き​良き日本”を​再現した​ものではない。​鉄や​スチール、​ガラスと​いった​素材も​随所に​用いられ、​これまでにない​北海道の​魅力を​伝える​空間と​して​表現されている。​すべて​ショウヤさんの​作品だ。

「私はけして​ビジネスマンではないんです。​面白い​ビジネスを​手がけている​自覚は​あるけれど、​ビジネスは​それほど​好きではない。​やっぱり​作品を​つくるのが​好き。​その方が​自分に​とって​大事な​ことなのです」

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「今やっている​空間デザインや​プロデュースは、​学生時代に​志していた​フィルムメイキングに​近いなと​感じていて。​映画では​監督が​いて​舞台を​つくって​ライティングや​インテリア、​音楽を​考えて、​伝えたい​ことが​あって​物語が​進行していくでしょう。​ここで​いう​役者は​お客様です。​私が​監督と​して​整えた​環境に​お客様を​招待する。​そこで​お客様が​感じた​もの、​ひらめきや​刺激を​持ち帰って​もらえたら​いいなと。​いろんな​ものに​ふれてインスピレーションを​感じて、​元気を​もらう​ことって​僕自身も​あります。​ああこんな​表現も​あるんだ、​自分も​やってみようかな、とか​そんな​風に​思って​もらえたら​嬉しい」

デザインに​しても​アートに​しても、​見てくれる​人が​いて​初めて​その​作品は​完成すると​言われる。​そもざは、​ショウヤさんが​他者と​コミュニケーションする​ための​一つの​手段でもある。

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自分が​信じれば、​不思議と​周りも​そう​思うようになる

それに​しても、​これだけの​古民家を​遠方から​移築し改修すると​なれば​相当な​資金が​必要になる。​表現の​ためとは​いえ、​一人の​作家活動と​して​それだけの​投資を​するのは​リスクが​大きい。​並大抵の​覚悟では​できないのではないかと​思えた。

「もちろんそうです。​うまく​いくとは​限らない。​今の​ギャラリーだって​もう​少し​大きく​できればもっと​いろんな​ことができるのにと​悩みは​尽きない。​でも、​イギリスの​古い​作家の​言葉で、​“考え方が​すべて​”と​いう​ものが​あります。​無理、​できないと​思ってしまうと、​すべてが​そうなる。​逆に​こうなればいいと​思う​ことを​思い描いたり​人に​話したりすれば、​時間は​かかるかもしれないけど、​実現に​近づいていくと​思うんです」

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そう​言って、​ショウヤさんは​一枚の​イメージ図を​見せてくれた。
今そも​ざの​横には​新たに​2棟の​家が​移築され、​宿に​する​ための​改修工事が​進んでいる。​イメージ図には​多くの​棟が​並び、​ギャラリーと​飲食スペースである​今の​そも​ざと​細い​廊下で​行き来できるようになっていた。​そも​ざの​将来図。​品川宿なら​ぬ​「そも​ざ宿​(じゅく)」と​言って、​ショウヤさんは​笑った。

「この​計画に​したって、​まだ​すべての​お金が​用意できているわけでは​ありません。​でも、​24歳で​北海道へ​来た​ときの​自分は​お金もなかったし、​知り合いもいなかった。​その状況から​始めて、​今まで​やってきたわけです。​自分が​こうなると​信じれば、​不思議と​周りも​そう​思うようになる。​バイブレーションと​いうか、​目に​見えない​力が​働く​気が​します」

確かに​ショウヤさんの​話す​「そも​ざ宿」の​計画は、​聞いていると​あたかも​完成間近のように​感じられた。​数年後に​訪れたら、​きっと​その​光景が​見られるに​違いない。

人には​未来を​思い描く​力が​あって、​その力が​実現へと​導いてくれる。​ショウヤさんの​歩んできた道のりは、​そう​教えてくれているような​気が​した。

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そも​ざ

北海道虻田郡倶知安町花園78−5
TEL:0136-55-8741 (営業日の​16:00まで​)
営業日:
夏期​(4月~11月) 金・土・日・祝
カフェ10:00~16:00/ランチ12:00~14:00
冬期​(12月~3月)​月~土 (年末年始は​日曜営業あり)
カフェ11:00~16:00/ランチ12:00~14:00 /ディナー18:00~、​19:00~

文:甲斐か​おり
写真:山田聡美