【商いの​コト】古くから​残る​ものの​美しさを​伝えたい​ ー 越前漆器、​最後の​木地師が​営む​「ろくろ舎」

成功も​失敗も、​すべては​学びに​つながる。​ビジネスオーナーが​日々の​体験から​語る​生の​声を​お届けする​「商いの​コト」。

つなぐ加盟店 vol. 47 ろくろ舎 酒井義夫さん

職業に​就くと、​わかる​ことがある。

約1500年の​歴史を​持つと​される​越前漆器の​丸物木地師に​なり、​酒井さんは​知った。​古く、​職人に​継承され、​伝統を​築いてきた​産業に​見える​ほの​暗いか​げりを。​そして、​長く、​日本に​愛され、​残ってきた​漆器が​まと​う​美しい​意匠を。

ろくろ舎は、​新しい​歩みを​進めている。​漆器を​信じ、​木地師で​食べていけるようにーー。

酒井さんに、​伝統工芸で​新規事業を​開発する​渦中の​心境を​聞いた。

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工房に​隣接する​ショップに​並ぶのはろくろ舎の​丸物​(お椀)と​酒井さんが​国内外から​セレクトした​プロダクト

お椀の​カスタムオーダーを​開業

ろくろ舎には、​酒井さん夫妻と​従業員1名が​いる。​午前9時に​始業。​業務量に​応じて、​終業時刻を​変動。​経理は​妻が​担当する。​3人の​力を​合わせて、​3種類の​事業に​取り組んできた。​木製花器や​アクセサリー、​和食器などの​製造販売。​他社製品の​共同開発。​漆器の​木地製造請負。​そして​4種類目の​事業と​して、​2016年から​福井県鯖江市河和田地区の​工房体験型マーケット​「RENEW」で、​エンドユーザーに​向けた​丸物の​カスタムオーダーサービスを​試験的に​始めた。

2018年は、​カスタムオーダーに​大きく​力を​入れている。​6月は​東京都新宿区の​BEAMS JAPANで、​7月は​京都府京都市の​Community Store TO SEEで、​8月は​東京都渋谷区の​渋谷ヒカリエd47 MUSEUM​「47​あつらえ展」で、​それぞれオーダーを​受付。​以降も​富山県や​徳島県へ​赴き、​10月には​3度目の​RENEW出展を​予定している。

「出展時に​決めている​売上目標の​6、​7割を​達成できるようになってきました。​あと​何回か​オーダー受付を​続けて、​数字が​見えてきたら、​他店に​提案しやすくなります。​提案を​受け入れて​もらえやすくなってきている​印象も​あるかな。​ただ、​売上目標の​金額は​ギリギリで​設定しています。​本当は​もっと​上を​目指さないと​なんだけど。​もともとストイックではなく、​結果、​こうせざるを​得なくて、​始めないと​どうしようもない​ことだっただけなんです」

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伝統産業の​若手と​して​仕事を​得た​創意工夫

北海道小樽市出身の​酒井さんは、​学生時代を​誰かから​認められたいと​いう​焦燥とともに​過ごした。​20代は​沖縄、​ニュージーランド、​東京などを​放浪し、​ヒッピーカルチャーに​傾倒する​友人たちと​過ごす。​26歳で、​東京の​デザイン専門学校を​卒業。​翌年、​木工メーカーに​就職。​鯖江市に​引っ越した。​数年で​木工メーカーを​退職後、​パン工房に​勤務する​傍ら、​隣近所の​伝統工芸士と​知り合いに。​パン工房を​退職し、​福井市の​後継者育成事業の​一環で、​その伝統工芸士の​元、​木地製造を​習う。​1年の​修行を​経て、​34歳で、​石川県挽物轆轤技術研修所に​通い、ろくろ舎と​いう​屋号を​掲げた。​“河和田地区、​最後の​木地師”と​いう​呼び声も。

鯖江市には​越前漆器と​いう​伝統工芸が​残る。​地域で​分業制を​敷き、​塗師を​中心に​木地師や​蒔絵師らと​漆器を​製造する。​一人前の​職人と​認められるまでに、​5〜10年を​費やす。​かつては​丁稚と​して、​修行を​積む​環境が​整っていた。​1年足らずの​修行で​分業制の​一翼を​担う​ハードルは​高い。​34歳で​向き合う​課題だった。

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「独立する​以前から​TSUGI代表​(※)の​新山直広くんには、​木地師と​して​どう​やって​生きていこうかと、​よく​話し相手に​なって​もらいました。​長い​期間、​修行を​しないと​いけない​伝統工芸の​世界では、​簡単に​食べていけない​ことを​知っていたし、​技術で​一番を​目指す​ことも遠すぎる。​せめて​工房が​一番​格好良い​木地師を​目指す​ことならできるんじゃないかと、​“見せ方”を​工夫する​ことから​始めました」

※TSUGIは​鯖江市に​ある​デザイナー・職人などで​構成される​クリエイティブカンパニー

Webサイトに​表現した。​コンセプトと​テーマを​掲げて、​オリジナルプロダクトの​開発を​進める。

「ろくろ舎の​売上7、​8割を​産もうとする​甘い​考えでした。​ただ、​デザインを​知る​木地師と​して​営業したので、​徐々に​木地製造の​委託を​もらえるようになっていったんです。​開業して、​働きながら、​徐々に​方針を​修正していき、​上流工程から​たずさわる​発注を​して​もらえるようにもなりました。​そればかりで​食べていけるなら、​いいんですけど。」

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木地師を​健やかな​職業に​したい

木地師の​加工賃は​低い。​丸物を​ひとつ​削り出して​300円程度。​1日に​30,000円の​売上を​得るのなら、​100個を​製造する。​しかし、​木地師の​仕事は​木材の​仕入れを​含む。​月売上100万円の​木地師は​大ベテランだ。​匠——天井が​見えているとも​言える。​毎月​100万円分の​発注は​継続しない。

節句に​合わせ、​生産量は​増減する。​例えば、​年の​瀬に​向け、​9〜10月に​木地師は​繁忙期を​迎える。​納品の​際、​次の​発注を​受ける​ことは​通例。​製造・納品・受発注、​製造・納品・受発注……。​サイクルを​回すたび、​数字の​遷移に​実感が​伴った。​そして、​2016年を​迎える。

「受注は​少しずつ​減っていて、​このまま続く​感じは​しない。​それで​カスタムオーダーを​試しました。​300円の​加工賃なら​1日100個になるけれど、​1個10,000円で​販売できたら​1日3個の​製造で​済む。​乱暴な​考え方かもしれませんが、​僕には​その方が​健やかだと​思えて」

商品の​製造販売、​木地製造の​受託の​ほか、​他社との​共同開発にも​取り​組んでいた中で​新しく​事業を​起こす負荷は​当然​大きい。​ひとりで​製造を​担う​ことは​難しくなり、​石川県挽物轆轤技術研修所で​後輩だった​女性を​雇用した。

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「うちに​来て、​楽しく​働いてくれるような​人材は​多く​ありません。​職人志向の​人には​向かず、​いろんな​取り組みを​していく​ことに​面白味を​感じてくれるような​人は、​彼女だけでした。​雇用して、​やらなきゃいけない​仕事は​増えたように​感じます。​それは、​ひとりだから​フリースタイルで​やって​こられた​頃と​異なり、​給与を​支払う​責任が​生まれたから、​継続させていく​ことを​考えて、​より​強くなって​いかないと​おかしいと​いうか。​考え方が​変わった​結果です」

些細な​変化かもしれないが、​妻に​経理を​任せ始める。

「数字に​弱いくせに、​通帳を​離さないで​いたんですが、​できなくて、​渡しました。​『できる』から​『できない』に​変わって、​とても​楽に​なったんです。​経営者が​実践者と​して​腕を​持ち、​現場を​引っ張る​ところは​すごいけれど、​そうじゃなくっても、​結果​さえ良くなれば​いいなと」

工房が​一番​格好良い​木地師を​目指す​ことも​やめている。

「格好つけたかったのかな。​削ぎ落と​していったら、​いらない​ものは​いっぱい​あって……​本当に、​大して、​そんなに​いらないですからね」

具体的に​何が​どう​必要ないのかは、​尋ねなかった。​肩の​力が​抜けている、​酒井さんの​姿で​充分だった。

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古くから​残る​美しさを​ただ​伝える

2018年に​入り、​変化が​ふたつ​生まれた。​ひとつ目は、​木地製造の​受注数が​大きく​減った​こと。​もう​ひとつは、​従業員の​独立が​決まった​こと。​そうして​カスタムオーダーを​全国展開する​ことに​大きく​力を​傾ける​ことになった。​各地で​オーダーを​受け付ける​際、​酒井さんは​何か心がけているのだろうか?

「漆器がなぜ​高価なのかを​ちゃんと​説明するようにしています。​昔は​ハレの​日と​ケの​日が​もっと​密だったので、​漆器の​使い方ひとつを​挙げても​説明する​必要は​ありませんでした。​でも​今は​伝えて​いかないと​気づいて​もらえません。​気づいてくれたら、​買ってくれる​人は​少なくないんです。​例えば、​BEAMSでも、​『いい歳に​なったから、​いい器を​使うように​したい』と​おっしゃってくれた​方が​います。​興味を​持ってくれるから、​ちゃんと​伝えて、​買って​もらって、​食べていけるようになって、​続けていけるようにしていきたい」

食べていける​こと。​続けていける​こと。​それは、​酒井さんに​限った​問題ではない。

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「木地師と​して​従来の​安い​加工賃で​疲労困憊する​請負とは​異なる​仕事を​産地に​落と​したい。​そうしたら、​若い子が​木地師に​なるかもしれない。​僕が​若手の​時期を​終えたら、​肩の​荷は​少し​ぐらい​降りると​思っているんです」

あくまでも、​木地師の​仕事を​もう​ひとつ​増や​したいだけなのだ。

「漆器は、​完成されているので、​美しいんですよね。​漆を​塗られた​商品も、​工程も、​すべて​歴史の​重みが​違います。​陶器、​鉄器、​ガラスよりもはるかに​昔から​漆器を​使ってきた国です。​だから、​新しい​形の​お椀を​つくる​ことには​まったく​興味が​湧きません。​生み出す漆器は​ふつうで​いい。​ふつうの​お椀は​使いやすく、​それに​納得して​買っていただけるように、​しっかりした​伝え方を​残していくのが​正しい​選択じゃないかな。​文化を​底上げしようとする​取り組みほど、​なかなか​お金が​儲からなくて​大変なんですけどね」

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一日を​健やかに​楽しく​営む

酒井さんは​ストイックに​なりたくない​人だ。​酒井さんは​木地師に​なった​結果、​微調整を​続けて、​カスタムオーダーを​始めた​人だ。​酒井さんは​新しい​お椀を​つくりたいわけでは​決してなく、​これまで​続いてきた​木地師と​いう​仕事が​これからも​続くように​整えたい​人だ。

「カスタムオーダー、​オリジナルプロダクト、​共同開発、​木地製造請負。​売上を​何割か​ずつに​分散して、​バランスを​とっていけるようになったら​いいな」

酒井さんは​決して、​請負を​なくしてしまいたい​わけではなかった。

「請負を​続けていたいのは、​尻を​叩かれる​状況を​必要と​する​性格だから。​カスタムオーダーに​絞っていくと、​下手を​すれば、​オーダーが​ない​限り、​毎日、​昼寝していても​よくなってしまいます。​毎月、​納期が​ある​ほうが​リズムを​つくりやすいんです。​手を​動かす​ことで、​体の​バランスを​取りたい。​ただし、​徹夜までする​請負は​なくなりました。​長く​続けていく​ために​無理のない量は​あるんだろうと、​徐々に​そっちに​寄せていっています」

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今後の​計画は​あるのだろうか?

「ないんです。​1年先の​予定を​立てては​いるんですけど、​そうなった​試しも​ありません。​それよりも、​僕は​今日を​こう​過ごしたいと​いう​気持ちが​強くて。​一日、​一日を​健やかでありたいだけなんですよ。​それ以上は​考えられないから、​毎日、​ろくろ舎に​足りない​ものを​少しずつ​変えていくようにしています」

これが​2018年8月時点のろくろ舎で​あり、​酒井さん​自身の​たたずまい。​きっと、​これからも、​微調整を​続けていく。​その微調整が​ひとり善がりになっていない​ことだけは​確かだと​思える​エピソードが​あった。

「32、​3歳の​頃、​先輩の​結婚式で​屋上から​集合写真を​撮りました。​その​写真に​僕は​斜めに​構えて​人に​交わらないように​写っていたんですけど、​後日、​高校の​頃に​撮った​屋上からの​集合写真を​見たら、​まったく​同じように​斜めに​構えて​写っていたんですね。​それを​見て、​ゾッと​したんです。​一人であが​いても​どうにもならない​産業に​就いているのに、​このままだったら​誰も​声を​かけてくれない。​変わるなら​自分からだと​思いました」

以来、​酒井さんは​周りの​人を​気に​かけている。

「やっぱり​自分の​周りに​いる​人が​楽しい​ほうが​いいと​思うんです。​仕事で​関わる​人には​楽しく​働いて​ほしいし、​どうせなら​代表作を​生むような​仕事を​して​ほしい。​一瞬でも​売れるだろうと​思って​仕事を​するのでは​意味を​感じられなくて。​これが、​オンでも​オフでも、​ずっと​変わらない​僕の​気持ちなんです」

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ろくろ舎
916-1221
福井県鯖江市西袋町512
Tel : 0778-42-6523
Fax : 0778-42-6524

文:新井作文店
写真:片岡杏子