【商いの​コト】人口5,000人の​町で、​靴屋になると​いう​こと​ — LICHT LICHT KAMIYAMA

成功も​失敗も、​すべては​学びに​つながる。​ビジネスオーナーが​日々の​体験から​語る​生の​声を​お届けする​「商いの​コト」。

つなぐ加盟店 vol.65 LICHT LICHT KAMIYAMA金澤光記さん

山間の​小さな​町で、​好きな​ものづくりを​して​暮らす。​
そう聞くと、​一見とても​楽しそうだ。​でも、​生活できるのだろうか。​よほど​有名にならないと​無理なのでは……などと​余計な​ことも​頭を​よぎる。​
オーダーメイドの​靴屋​「LICHT LICHT KAMIYAMA」​(以下、​リヒトリヒト)の​オーナー金澤光記さんは、​そんな​邪推を​あっさり​打ち消してくれた。

訪れたのは​徳島県神山町、​人口5,000人ほどの​小さな​山間の​町。​町の​メイン通りとも​言える​国道438号の​側に​建つ、​もとは​電気屋だった​建物に​リヒトリヒトは​ある。​金澤さんは、​履く​人の​足に​寄り​添った​靴づくりを​行う。​その​確かな​仕事を​求めて、​遠くから​足を​運ぶ人が​後を​絶たない。

そもそもなぜ​この​場所で​靴屋を​?​金澤さんに​話を​伺った。

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どんな​人でも、​楽しめる​靴を

店名の​リヒトとは​ドイツ語で​光の​こと。​その​名前に​ふさわしく、​店には​通りに​面した​窓からさんさんと​光が​ふり注ぐ。​カウンターで​仕切られた​手前が​店舗兼ギャラリーで、​奥が​作業スペース。​棚には​キャメル色の​紐靴や​サンダルなどの​サンプル品、​いく​つかの​木型が​並び、​古き良き靴屋を​思わせる。

リヒトリヒトが​オープンしたのは​2015年1月。​今年で​5年目になる。​オーダーメイドが​基本の​靴屋で、​一部セミオーダーの​品も​置いている。​お客さんは​足の​サイズを​測る​ために​必ず​一度は​店を​訪れ、​サンプルを​試着しながらデザインや色、​革の​種類を​選び、​オーダーする​ものを​決めて​ゆく。

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高校卒業後、​金澤さんが​兵庫県三田市の​医療福祉専門学校で​学んだのは、​「整形靴」と​呼ばれる​特殊な​靴を​つくる​技術だった。​一言で​いえば、​医師の​指示に​より、​障害の​ある​人や​足に​不自由を​抱える​人向けに​つくられる靴。​普通の​靴とは、​つくり方の​発想​その​ものが​違っている。

金澤さんは​なぜ、​この道を​選んだのだろう。

「普通の​靴を​つくる​技術が​あっても​障害の​ある​人の​靴を​つくる​ことは​難しいですが、​障害の​ある​人の​靴を​つくる​ことができれば、​普通の​靴を​つくる​ことは​できます。​その方が、​自分に​は​しっくりきたんです。​身の​周りに​障害者が​いたわけじゃないんですが、​相手が​誰で​あっても​境目なく​応えられる​方が、​本当に​必要と​される​ものになるんじゃないかと​思って」

今、​お客さんの​多くは、​外反母趾や​扁平足など普通の​靴では​ストレスを​抱える​人が​多い。​金澤さんは​そうした​一人​ひとりの​悩みを​聞き、​要望に​応じた靴を​つくる。​
どんな​人でも​同じように、​楽しめる​靴を​提供したい。​その​思いは​始めから​今に​至るまで​変わっていない。

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自然と​ピースが​埋まっていった

それに​してもなぜ、​徳島県の​神山町だったのか。

「妻の​実家が​徳島市なんです。​神奈川や​僕の​地元の​愛知で​整形靴を​つくる​仕事を​してきて、​そろそろ次の​ステップを​考えていた頃、​徳島に​遊びに​来るようになって。​神山って​面白い​場所が​あるよと​聞いたんです」

当時神山は​移住者の​増えている​町と​して​注目され​始めていた頃。​地元の​NPOが​先進的な​取り組みを​していたり、​IT企業の​支社が​できるなど、​海外からの​視察も​多い​ちょっと​した​刺激の​ある​場所だった。​金澤さんは、​ここで​行われる​神山塾と​いう​プログラムに​参加する​ことになる。

半年間町に​住み込み、​農業などの​手伝いを​しながら、​座学や​ワークショップを​通して​学び、​参加者それぞれが​自由に​やりたい​ことを​実践できる​プログラム。​神山に​興味を​もつ人たちに​とって、​町への​入り口となるような​役割を​果たしていた。

「は​じめから​ここで​店を​やろうと​決めていたわけではないんです。​何か​ものづくりに​関わる、​新しい​働き​方ってないかなぁと​漠然と​考えていたくらいで。​お店を​始めるって、​いろんな​意味で​ハードルが​高いですから。​でも​ここに​いるうちに、​知らない​間に​ピースが​埋まっていった​感じに​近くて。

ある​時、​お店に​できそうな​物件が​あるから​見に​行ってみたらと​勧められて、​来てみたら​明るくて、​奥も​広くて​倉庫に​使えそうだし、​すごく​いい​場所だなと​思えて。​でも​始めるにしても​お金が​かかるよなと​思っていたら、​事業計画書を​書いて​申請してもし通れば​創業支援金と​して​200万円ほど​出る​よって​教えて​もらって。​いつのまにか、​場所も​あって​資金の​目処も​たって、​周りが​応援してくれるような​環境も​あって…​今やらなかったら​いつやるんだろうって​くらい​条件が​整っていたんです」

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神山だから​よかった​こと

不安が​なかったと​言えば​嘘になる。​果たして​ここに​お店を​出してお客は​来るんだろうか。​オープン前は​そんな​懸念も​あった。

「でも​万が​一店と​して​続けるのが​難しければ、​ものづくりの​工房と​して​活用すれば​よいかなと​思ったんです。​家賃も​びっくりする​くらい​安いですし、​都会で​10万、​20万と​家賃を​払いながら店を​出すのとは​状況が​大きく​違う」

学校を​卒業後、​整形靴を​つくる​仕事を​していた​神奈川県や​愛知県で​お店を​始める、と​いう​選択肢は​なかったのだろうか。

「もちろん​その頃も​店を​やる​発想は​もっていたし、​アトリエを​借りて​展示会を​行ったり、​クラフトフェアに​出展したりもしていました。​でも、​周りに​起業家マインドを​持った​人が​それほどいなくて、​自分の​中で​踏み切れなかった​ところが​あるんです。​神山に​来て​出会う​人たちは​起業する​人も​多いし、​フットワークが​軽くて、​ああ自分にもできるかもしれないと​自然と​思えたんですね」

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田舎で​あれば​どこでも​よかったわけではなく、​神山と​いう​場所と​相性が​良かったと​いう。​さらには​周りに​メディア関係者も​多く、​オープン前から​情報発信の​面で​協力を​得られそうだった​点も​金澤さんの​背中を​押した。

「靴屋を​オープンしたからと​言って、​都会だと​ニュースにもならない。​それが​この​場所だと​県の​新聞に​載るんです。​これって​大きな​違いですよね​(笑)」

オープン前の​懸念とは​裏腹に、​開店して​すぐに​想像以上の​お客さんが​あった。​町への​視察や​メディアの​取材も​多く、​この​流れは​数年続いた。​ようやく​昨年から​落ち着きつつ​ある​ものの​客足は​途絶えていない。​セミオーダーで​4〜5万円、​フルオーダーでは​10〜15万円と​決して​安い​買い物ではないけれど、​いま月に​つくる​靴は、​納品分が​5足、​仮合わせが​5足と​合わせて​10足ほどの​ペースで​コンスタントに​制作している。

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足に​自由を

そう​聞けば、​町への​注目度が​高かった​ことも​大きいと​思わせられるが、​数年たっても​注文が​途絶えない​一番の​要因は、​金澤さんならではの​靴の​つくり方に​ある。​
徳島市内から​車で​約30分。​アポイントを​取って​訪れる​お客さんの​多くは​金澤さんの​靴を​求める​人たちだ。

「徳島には​オーダーメイドで​靴を​つくれる​場所って​案外少ないんです。​うちは​履く​人の​悩みや​足に​合わせて​靴を​つくるので、​田舎に​あっても​来られるのではないかと​思います。​お客さんには​何かしら足に​悩みを​もっている​方が​多い。​電話での​問い​合わせも、​足が​痛くてとか、​整形靴と​いう​言葉を​ホームページで​見たんですけどって」

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いまつくっている​靴は、​正確に​言えば​「整形靴」ではない。​
整形靴を​つくる​技術を​用いながら、​もっと​自由な​靴を​提案していきたいと​考えている。

「以前​勤めていた​会社では、​義肢装具士さんと​一緒に​整形外科や​施設へ​行って、​ドクターの​診断で​整形靴が​必要な​人に​靴を​つくる​仕事を​していました。​変形している​足に​合わせて、​重心が​どこに​かかると​歩きやすいのか、​左右の​バランスが​取れるかを​考えて​つくっていく。​それはなくてはならない​大切な​仕事ですが、​同時に​不自由さも​感じて。​機能面を​重視する​あまりに​楽しさを​追求する​余裕が​ないと​言いますか。​たとえ足に​障害を​もっていたとしても、​もっと​楽しく​履ける​カッコイイ靴、​きれいな​靴を​提供できない​ものかなと​思っていたんです」

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もちろん​今の​お客さんの​中にもリハビリ中の​人や、​医師の​判断が​必要など、​金澤さんだけでは​判断できない​相手も​いる。​靴が​足や​身体に​与える​影響は​大きい。​話し合いながら慎重に​靴づくりを​進める。​それでも​整形靴では​満足できない​人、​もっと​おしゃれな​靴が​履きたいと​思う​人たちに、​より​自由な​発想で​靴を​届けたい。

「僕の​靴づくりは、​こちらから​こういう​ものが​あるけど​履いてみますか、と​いった​流れは​あまりないんです。​まず​お客さんが​いて、​その方の​足が​あって、​どう​いう​ものが​欲しいかを​聞いて​初めて​ものづくりが​始まる。​必要と​されるからつくる。​もちろん、​きれいな​靴に​したいと​思っても​足の​乱れが​あると​思ったより​ゴツくなってしまったり、​痛くないように​したいけど、​きれいな​靴にしようと​思うと​ちょっと​痛くなるとか、​常に​せめぎ​あいが​あります。​そのギリギリの​ところを​探るような​仕事ですね」

そんな​靴づくりは、​足に​悩みを​抱える​人だけでなく、​どんな​人にも​履きやすい靴を​提供してくれる。​ただ​こだわりの​デザインの​靴を​つくっているだけでは、​今のように​お客さんが​続いていないかもしれない、と​金澤さんは​言う。

金澤さんの​人生を​ふりかえると、​これまでに​選択してきた​一つ​ひとつが​神山で​一気に​つながったようにも​思える。​福祉系の​靴づくりを​学んだ​こと、​整形靴を​つくる​技術と​キャリア、​徳島に​縁が​あった​こと。​神山へ​来て​すべてが​パズルの​ピースのように​ぴたっと​合った​感じだ。

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新しい​靴づくりの​開発も

これから​先も​続けていく​ために、​足りないと​思っている​ことは​ありますか?​
そう​尋ねると、​こんな​答えが​返ってきた。

「ものづくりの​仕事って、​どうしても​自分が​手を​動か​した​分しか​収入にならない、​それ以上​売上を​伸ばしていくのが​難しいって​点が​ありますね。​大変な​割には​儲からない​(笑)」

そこで、​今くらいの​生産ペースを​保ちながら、​新しい​靴づくりの​開発など、​頭を​使った​仕事にも​携わっていきたいと​考えているのだそう。

「たとえば、​いま進めているのが、​医療分野に​使われる​規格品や、​企業用の​ワークブーツの​開発です。​企画設計は​こちらで​行い、​ある​程度​工場などで​量産できる​ものに​する。​そんな​風に​アイディアや​ノウハウを​提供する​ことが​少し​ずつ仕事に​つながってきていて。​今までの​経験や、​神山と​いう​場所で​仕事を​しているから​寄せられる​依頼であるとも​感じています」

昨年から、​神山町を​取り上げる​メディアの​動きもずい​ぶん落ち着いてきた。​おかげで​今年は​東京の​百貨店で​行われる​展示会に​出展するなど、​自ら​出向いて外で​腕を​試すトライしている。

手に​した技術と、​楽しんで​履ける​靴を​一人でも​多くの​人に​届けたいとする​思い。​
​その​二つが​あれば、​どんな​場所に​いても​誰かを​喜ばせる​ことができる。​リヒトリヒトは、​そんな​道を​照らして​灯り続ける​光のようにも​思える。

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LICHT LICHT KAMIYAMA​(リヒトリヒトカミヤマ)​
徳島県名西郡神山町神領字北213−1
TEL:088-636-7920
営業時間:12:00~19:00
定休日:火、​水(要予約)

文:甲斐か​おり
写真:藤岡優