【商いの​コト】特集:スモールビジネスと​テクノロジーの​関係​--Ko’da style

成功も​失敗も、​すべては​学びに​つながる。​ビジネスオーナーが​日々の​体験から​語る​生の​声を​お届けする​「商いの​コト」。​編集者で​ライターの​一田​憲子さんと​共に、​スモールビジネスと​テクノロジーの​関係に​ついて​考えていきます。

つなぐ加盟店 vol.78 Ko’da style こうだかず​ひろさん

葉山の​小さな​アトリエで​作られた、​知る​人ぞ知る​帆布の​バッグが​あります。​デザインから​製作までを​一人で​手がけ、​注文の​際には、​ステッチや​生地の​色、​持ち手の​長さを​変えるなど、​自分仕様に​カスタマイズもできる……。​それが、​こうだかず​ひろさんが​手がける​「Ko’da style」の​バッグです。

私が​初めて​取材で​こうださんを​訪ねたのは、​今から​15年以上前の​ことでした。​「Ko’da style」を​立ち上げたのは、​21年前だそうです。​その​間ずっと、​一人で​帆布の​バッグを​コツコツ作り続けてきた……。​その​ことを、​すごいな​あと​思うのです。​ひとつの​ことを​長く​続けるのは、​簡単そうで​とても​難しい​ことです。​好きでなければ​続かないし、​商品が​売れなければ、​次を​作る​ことは​できません。​どうして​こうださんは、​バッグを​作り続ける​ことができたのか?​ ビジネスを​継続的に​回す​ことができたのか?​ そんな​お話を​伺おうと、​久しぶりに​アトリエを​訪ねました。

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葉山の​アトリエは、​玄関を​あがって​すぐ​左に​ショールーム兼ショップスペース。​その奥に​古いミシンが​並ぶアトリエスペースが​あります。​ここに​越してきたのは、​ブランドを​立ち上げて​5年が​経った頃。​この頃が​こうださんに​とって、​大きな​転機でした。

「玄関を​あけて​すぐに​『ここが​いいな』って​思いました。​他の​物件は​全然​見ずに、​その場で​契約したんです。​鍵を​もらってから​周囲を​歩いてみたら、​こんなに​海が​近かったんだ!って​びっくりしたんです」と笑​います。

まず​最初に、​この​葉山の​アトリエ以前の​お話、​ブランドを​立ち上げるまでを​伺いました。
​「若い​頃から、​インテリアに​すごく​興味が​あって、​一番​最初の​就職は​家具屋さんだったんです。​分厚い​カタログを​持って​カーテンや​カーペットを​売る​仕事を​していました」

実家の​自室の​壁を​ペイントしたり、​照明を​変えたりするのも​好きだった​そう。​その後、​家具から​文房具まで、​大都市を​中心に​ホームセンターを​チェーン展開する​会社に​転職。​バラエティグッズ担当を​経て、​最終的には​インテリアの​カーテン売り場の​担当に。​「当時、​生地の​7割ぐらいが​オリジナルだったんです。​各店の​担当者が​集まって、​みんなで​織物の​産地に​行って、​工場を​見学して……。​そんな​ことを​年に​何度も​繰り返すうちに、​すっかり​その​面白さには​まってしまって」

その会社で​知り合ったのが、​帆布で​バッグを​作っている​「須田帆布」の​須田栄一さんでした。

「キャンプ仲間と​して​おつきあいを​させて​もらっていたんですが、​ある​時アトリエに​遊びに​行った​ことが​ありました。​その​時『お前、​将来​何かやりたい​ことないの?』って​聞かれて​『自分で​何か​作ってみたいんです』って​答えたら、​『じゃあ、​ちょっと​ミシンに​触ってみたら?』と​バッグを​作らせて​もらったんですよね。​サイズの​取り方や​縫い方を​教えて​もらって……。

それが​あまりにも​面白くて!​ミシンと​いう​機械を​いじる​ことは​もちろん、​平面の​生地が​『縫う』と​いう​工程を​経て​三次元になる​ことも​面白かったし、​生地を​裏返して​縫って、​最後に​ひっくりかえすと​自分が​想像していたのとは、​まったく​違う​形が​できあが​って、​『う​お〜、​面白いぞ!』って​驚きました。​でも、​変な​話それは​バッグじゃなくても​よかったのかもしれません。​須田さんが​カバン屋さんじゃなくて、​靴屋さんだったら、​僕は​靴を​作る​人に​なっていたかも。​何を​作るかと​いう​ことより、​自分の​手で​ものを​作る​面白さに、​のめり​込んでいったんです」

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いつも、​何か​ひとつの​ことを​極めた​人に​お話を​聞くと、​感じる​ことが​あります。​それが、​「好き」と​いう​ことの​熱量。​よく​「天職」と​言いますが、​それは​「才能」と​いう​特別な​能力が​あるのではなく、​その​ことを​どれだけ​「好き」で​いられるか、と​いう​思いの​強さなんだよな​あと​思います。​こうださんは、​自分の​手を​動かして、​何かを​生み出す​ことが、​何より​好きな​人でした。

バッグ作りの​基礎を​須田さんに​習ったのかと​思いきや……。​「いや、​その後は​何も​教えてくれなかったんですよ」と​聞いて​びっくり。

「生地や​道具を​どこで​買うのかも​わからなくて……。​でも、​須田さんは​『そこからは​自分で​やらなくちゃ、​うちの​コピーに​なっちゃう』と​言ってくれたんです。​そこで、​当時は​インターネットなんてなかったから、​タウンページの​電話帳で​『糸商』や​『生地商』と​いう​ページを​調べて、​一軒​一軒電話を​していきました。​中には​親切な​方が​いらして、​『何を​やりたいの?​ 一度​遊びに​来なさい』と​言ってくださって……。​『実は​こういう​バッグが​作りたいんです』と​伝えたら、​じゃあ、​糸は​こういう​種類が​あって、​こういう​呼び方が​あって、​タグは​こう​やって​注文すれば​いいんだよ、と​いろいろ​教えてくださいました。​今​おつき​あいしている​金具屋さんや、​糸屋さんは、​そこから​ずっと​変わっていないんです」

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こうださんの​バッグづくりが、​全くの​独学からの​スタートだったなんて!​それに​しても、​電話帳から​一軒​一軒電話を​かけるなんて、​なんていう​パワーなのでしょう!​ものづくりとは、​「ものの​作り方」を​知るのではなく、​「ものを​作る​ための​プロセスを​作る」ところから​始まっています。​須田さんの​「自分で​やらなくちゃ、​コピーに​なってしまう」と​いう​一言は、​「自分に​しか​作れない​ものを​作る」には、​プロセスから​自分で​模索しなくては……と​いう​一番​大事な​ことを​教えてくれたよう。

「須田さんは、​『自分で​考えないと​オリジナルなんて​できないよ。​最初に​誰かの​匂いが​ついちゃうと、​そこから​抜け出すのは​すごく​大変だよ』と​教えてくださいました。​僕は、​今も​他の​カバンを​見に​いく​ことは​ほとんどないんです。​昔は​『ポケットの​付け​方って​どうやるのかな?』と​縫い方を​見る​ためには​行きましたけど……。​カバンからの​発想で​カバンを​作る​ことは​ありません。​むしろ家具とか、​建築を​見て、​こういう​形って​面白いなと​思いながら​作るんです」

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こうして​会社員と​して​働きながら、​休みの​日に​バッグ作りに​取り掛かりました。​そして​サラリーマンを​きちんと​10年間​勤め上げてから​退社。​一番​最初に​作ったのは、​トートバッグだったそうです。​「もともと​L.L.Beanの​トートバッグが​大好きで、​それを​自転車に​乗る​ときに、​斜めがけで​持つには​どうしたら​いんだろう?と​考えたのがはじまりです。​じゃあ、​自分で​ショルダーベルトを​つけてみようと​思ったんです」

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最初は​知り合いの​アトリエの​一室を​アトリエと​して​貸して​もらう​ことに。​ただし、​作りたい​ものを​作っても、​それを​どう​やって​売るかが​問題です。​「売り先は​あんまり​考えていなかったんですよ。​まずは​作る​ところから​始めてみようって​思っていただけ」と笑う​こうださん。​そんな​時、​たまたまアトリエの​大家さんが​アウドドアウェアを​デザインしていた方で、​そこに​商談に​やってきた​アウトドアショップ​「ビックオーク」の​バイヤーさんが、​カバンを​見てくれました。​「ちょっと​うちで​やってみませんか?と​言ってくださって、​そこが​一番​最初の​取引先に​なりました。​そうしたら、​びっくりする​ほど​売れちゃったんです」

その後、​出かけた先で、​たまたま​「ベイクルーズ」の​デザイナーの​友達と​お昼ご飯を​食べたら、​「今​何作ってるの?」と​聞かれ、​バッグを​見せたら​「ちょっと​預かって​いい?」との​こと。​それが​「ジャーナルスタンダード」の​メンズの​バイヤーに​渡り、​すぐに​取り扱いが​決まりました。

「ジャーナルスタンダードの​初代と​二代目の​バイヤーとは、​いろいろ​面白い​ことを​やらせて​もらいました。​カバンの​端に​メジャーを​縫いつけたり、​今の​オーダーの​原点と​なった​カラーオーダーを​提案したり。​もともとは​1万円ぐらいの​バッグだったんですが、​一色足すごとに​2,000円プラスと​いう​スタイルに。​全色​使うと、​合計で​5万円に​なっちゃったり​(笑)​『そんな​オーダーする​人なんていないよね』って​話していたら、​全色​使って​オーダーする​人が​結構いて​びっくりしましたね」

こうださんの​お話を​聞いていると、​一生懸命営業活動を​した、と​いう​よりは、​バッグが​バイヤーや​いい顧客を​連れてきてくれた……と​いう​感じ。​それほど​商品に​力が​あったと​いう​ことです。​あれこれ販売戦略を​練るよりも、​自分に​しか​作れない​ものを​作る、と​いう​ことが、​いかに​強い販売力を​持つかを​教えて​もらった​気が​しました。​こうして​32歳で​独立し、​順調に​滑り出した​「Ko’da style」。​でも……、​5年が​経った​頃から、​少し​ずつ​自分の​中に​矛盾を​感じるようになったのだと​言います。

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「最初の​頃は、​使う​人を​イメージして​バッグを​作っていたのに、​だんだん​『​これって​バイヤーの​あの​人が​喜びそうだな』と​考えるようになっていました。​バイヤー自身も​サラリーマン化してきて、​面白い​ことを​やろうよ!と​いう​パワーが​ある​人が​いなくなってきた……。​そういう​中で​一度​原点に​立ち返ってみたくなったんです。​当時スタッフも​いたんですが、​一旦解散して、​もう​東京は​いいかなと​当時よく​通っていた​沖縄に​行こうと​考えました。​でも、​いい物件に​なかなか​巡り​会えなくて……。​たまたま​友達が​鎌倉に​移り​住んだので、​そっち方面も​見てみようかなと、​鎌倉ではなく​葉山に​遊びに​きた​時に、​入った​不動産屋さんで​見つけた​一軒目が​ここなんです」

ちょうど​その​少し​前から、​展示会に​バイヤーだけでなく、​一般の​お客様も​招待するようになったそうです。​「今まで​直接売ると​いう​経験が​なかったので、​すごく​面白かったんですよ。​『ここは​こういう​ふうにならないの?』とか​『こういう​色が​欲しい』とか……。​そんな​希望に​応えて、​その方の​ために​1個だけの​バッグを​作ったり」

今は、​月の​3日から​9日までを​オープンアトリエに​して、​自由に​お客様が​訪ねて​こられる​スタイルに​しています​(※)。

※:展示会などで​予定が​変更になる​場合が​あります。​事前に​ウェブサイトなどで​オープンの​スケジュールを​ご確認ください。

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すべて​自分の​手で​作ると​いう​スタイルは​今もな​おずっと​変わっていません。​スタッフを​雇って​量産したいとは​思わなかったのですか?と​聞いてみました。​すると、​「こんな​面白い​仕事を​他の​人に​任せるなんて​イヤなんですよ」と​こうださん。

「サーフィンが​好きな​人は、​ずっと​サーフィンを​やっていたいと​思うでしょう?​それと​同じなんです。​僕は​ずっと​カバンを​つくっていたい。​有名な​お寿司屋さんに​行ったら、​お弟子さんではなく​大将の​握った​お寿司が​食べたい​みたいに、​お客様は​アシスタントが​作った​ものではなく、​僕が​好きで​作った​ものが​欲しいと​思うんです。​それで​お金を​もらえるなら​それで​いいし、​お金って、​楽しく​やっていたら、​楽しく​ついてくるかなって​思っていますね」

それでも、​経営的な​波は​あって​当たり前。

「そんな​時には、​ジタバタしますね。​売れない​時には、​じっと​我慢を​していると​いう​人も​いるけれど、​僕は​無理ですね。​新しい​ものを​作るし、​新しい​生地を​使うし、​受注の​仕方を​変えたりもします。​そういう​ジタバタの​中で​見えてくる​ものが​必ず​あるんですよね。​ひとつの​お店との​取引が​終わって​どうしよう?と​思うと、​『今度うちで​展示会を​やって​もらえませんか?』と​新しく​声を​かけて​もらったり。​一本の​木の​幹だけじゃなくて、​たくさんの​枝葉が​分かれて、​それが​つなが​って、​こっちが​ダメだったら​あっちで​頑張れる……とか。​そんな​気が​しています。​たぶん、​ビジネスの​才能が​あったら、​もっと​『Ko’da style』は​大きくなってきたと​思います。​でも、​僕に​とっては、​個人だから​できる​ことって​なんだろう?って​考える​ことが​一番​大事。​オリジナルである​こと、​コピーを​しない​やり方を​探していく​ことは​一番だと​思っています」

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Squareを​取り入れたのは、​Squareが​日本に​上陸して​すぐの​頃。​お客様から​クレジットで​買い物が​できませんか?と​いう​要望が​多かったからだと​言います。​それは、​こうださんが​バイヤー目線から、​一人​ひとりの​お客様目線へと​軸足を​移した頃の​ことでした。

「今って、​どんなに​優秀な​作家でも​美術家でも、​作るだけじゃ​ダメな​時代なんだと​思います。​売り方までを​考えて、​全部を​プロデュースできないと​作家と​して​成り​立って​いかない。​そんな​中で、​Squareは、​簡単な​操作で、​誰でも​その場で​カードが​使えて、​非常に​重要な​ツールですよね。​これからは、​アイテム管理にも​使いたいなと​思っています」

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ネットショップも​立ち上げましたが、​今、​商品を​販売するのは、​ポップアップショップが​一番​多いそうです。​サンプルを​持って​行って、​お客様の​希望を​少しずつ​取り入れて​オーダーで​制作。​そんな​Ko’da styleの​ビジネスは、​決して​大量生産ではなく、​まさに​手で​作れるだけの​規模です。​つまり、​大きく​儲ける​ビックビジネスではないと​いう​こと……。​でも、​これからの​時代、​一番​強いのは、​そんな​手の​ひらサイズの​商売ではないか?と​考えさせられました。​大量に​作り、​大量の​在庫を​持ち、​リスクを​抱え込むより、​本当に​必要と​される​量だけを​作り、​心を​込めて​コツコツと​作る​ことで、​商品に​きちんと​価値を​添加する。​そんな​ビジネスは、​決して​揺らぐ​ことがなく、​確かです。

最後に​「これからの​夢は​ありますか?」と​聞いてみました。
​「今、​実は​もう​一つ​ブランドを​作りたいと​思って、​新しい​生地で、​人の​手に​託して​中量生産ぐらいでの​ものづくりを​模索しています。​それから、​ポップアップと​いう​形態も、​そろそろ次の​段階に​きているのかも?とも​感じているんです。​僕は​クラフトフェア的な​流れには​あまり​乗っかりたくない。​もっと​違う​売り方を​考えたいなと​思っています。​そういう​中で、​改めて​インターネットが​面白いなと​考えています。​世界中の​誰でもが​買えるのが、​インターネットの​いい​ところ。​時間と​距離と​いう​概念がなくなるのが​面白い。​今東京で​販売を​始めたら、​ニューヨークでも​買えるし、​夜中でも​買える。​でも​あえて、​そこに​『限定』を​つけたら​面白いんじゃないかなと​思って……。​一ヶ月の​うちに、​3日間だけインターネットで​ショップを​オープンするとか。​そうすると、​お客様の​『参加する』と​いう​意識が​より​強まるでしょう?​インターネットの​便利さを​逆に​小さく​する​ことで、​コミュニケーションの​方法を​プロデュースできるのではないか?と​考えているんです」

こうださんが​求めるのは、​不自由さの​中に​ある​可能性のようでした。​あえて​テクノロジーを​使える​範囲を​小さく​して、​1つの​カバンとの​出会いを​演出する……。​やっと​カバンを​手に​した​ときの​感動こそ、​未来への​可能性を​より​大きく​育ててくれるのかもしれません。

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Ko’da style
神奈川県三浦郡葉山町堀内383
TEL:046-875-7992
アトリエの​オープン日は​こちらで​ご確認ください

文:一田憲子
写真:木村文平