【商いのコト】目の前のことに応えていったら、次の道筋が見えてくる。栞日

成功も失敗も、すべては学びにつながる。ビジネスオーナーが日々の体験から語る生の声をお届けする「商いのコト」。

つなぐ加盟店 vol.70 栞日 菊地徹さん

いきあたりばったり。

その言葉に、不安な印象を受ける人もいるかもしれない。

計画や目標をしっかりと立てることは、事業が安定すること、道筋がはっきりしていることへの安心にもつながる。

一方で、目の前のことに応えながら柔軟に進んでいくことは、不安定なようで、今を生きていくために必要なことなのではないだろうか。

そう考えたのは、栞日で話を聞いていたときのこと。

自分なりのスターバックスをつくる

北アルプスの山々を眺める長野県松本市は、民芸や工芸、音楽や芸術など、さまざまな文化が根付くまち。

ここで2013年にはじまったのが栞日という本屋兼喫茶店。

ガラス張りの喫茶スペースには、活版印刷機が佇んでいる。2階に上がると壁一面に置かれた本。一般的な書店では見かけないリトルプレスやZINE、アートブックなどが並んでいる。

店主である菊地徹さんの第一印象は、気さくで話しやすい人。

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静岡県静岡市出身で、筑波大学に進学。途上国における初等教育など、国際協力に関心があったことを、淡々と話してくれる。

「大学で勉強しはじめたら扱うスケールが大きすぎて。これって自分がやりたかったことなんだけって疑問と不安が出てきて。悩みながら勉強している時期がありました」

一方生活面では、友人の家に集まり遊ぶことが多かった。仲間うちでコーヒーが流行り、ミーハーな気持ちもあってスターバックスでアルバイトもはじめたそう。

「そしたらすごく楽しかったんですよ。単純に接客がおもしろいっていうのもあるし、仲間とチームプレイで働くことがよかった。なにより、ひとつの店がまちの中にあって、近所の人がそれぞれのペースで訪ねて来る。コーヒーを飲む時間を過ごして、日常に帰っていく。それを毎日目にしていると、これでいいなって思うことがあって」

「日常に地続きな場所をつくって、小さな経済が回る中で僕自身が生きていけるんだったらすごく幸せなことだな。そっちのほうが性に合ってるなって感じたタイミングがあったんです。いつか、自分なりのスターバックスをつくろうと決めました」

自分なりのスターバックス。

「その場所があることでローカルに対して、あるいはコミュニティに対して提供できることを自分なりに表現してみようって。そのためにずっと動いてきた感じなんです」

できないものは、できないんだ

大学卒業後も、しばらくはアルバイトとしてスターバックスで働いた菊地さん。“自分なりのスターバックスをつくる”ことを目指し、多様なサービスを学ぼうと、ホテル・旅館業で仕事をしよう考えるようになった。

「当時カーサブルータスの特集で紹介されていた国内のホテルを調べて、働きたいと思えるところを受けました。そのときに拾ってくれたのが松本にある明神館という旅館です。そこで妻に出会ったんです」

「彼女は趣味で焼菓子をつくっていて。一緒にお店とかできたら素敵だなって話をしていました。基本的に僕が見切り発車するタイプなので……2人でやること前提で考えるなら、個人商店の感覚を現場で身につけようと、1年ほどで転職を決めたんです」

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次の職場に選んだのは、SNSを通して知った軽井沢のhalutaというパン屋。インテリアや雑貨、洋服なども並ぶ店で、それまでは客としてよく訪れていた場所だった。

「自分で店をやるときにも、パンがつくれるのはすごくいいなと思ったから挑戦してみたんです。パン屋見習いとして入ったんですけど、結局ね、パン屋はできなかったんですよ」

発酵や焼き上がりを意識しながら、時間と工程が綿密に組まれたパンの仕事。菊地さんは一つひとつ納得するまで作業をしたくて、どうしても手が動くのが遅くなってしまったんだそう。

「教えてくれていた職人さんが、菊地くんパンは無理だねってばっさり切り捨ててくれたんです。世の中には努力すれば出来ないものはないって信じてたけど、出来ないものは出来ないんだって思い知って。だったら出来ることのなかでやりたいことを探そう。そう思考がシフトできたのは、すごくありがたかったですよね」

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その頃、彼女との待ち合わせ場所になっていたのが松本でした。飲食店やカフェを調べて訪れたり、雑貨屋をまわったり。そうしているうちに、個人商店が多いことに気づき、まちの良さを感じるようになった。

「あるパン屋さんに行ったとき、あそこのパン屋さんいきましたか?ここは?って、熱心に紹介してくれて。あそこのクロワッサンがおいしいんですよねって。自分の店にもあるんですよ、クロワッサン」

「商売敵のはずなのに、松本の個人商店の人たちって仲良しなんですよ。風通しの良さというか、人と人とのつながりのあるところに魅力を感じたというか。ここだったら、よそ者である自分も大丈夫だろうって思えたんですよね」

このまちには本屋が足りない

自分の店を開くのは、気に入ったまちが見つかったとき。松本だと確信してからは、店をつくる準備がはじまった。

「自分なりのスターバックスって、必ずしもコーヒーショップじゃなくてもいいと思っていたんです。スターバックスが提供していることって、サードプレイスっていうっていう言葉に集約されるんですけど」

「自宅でも職場でもない、日常と地続きなんだけど非日常な時間と空間を提供する場所。カフェだとわかりやすいけど、その意味合いでいうと美容室とか雑貨、古着屋さんとか、花屋もいいなと思っていて」

どの仕事も経験があるわけではなかった。自分が暮らしたいと思ったまちで、そこに住む人たちのサードプレイスになる店をつくる。

そう考えて松本のまちを見渡したときに、本屋が足りないと感じたという。

「いわゆるまちの本屋さんも、大型新刊書店も、いい古本屋もある。そもそもAmazonでなんでも買えるときに本屋が必要なのかっていう話もありますよね。でも僕は、本屋が足りないと思ったんです」

「店主の趣味嗜好というか、今この本読んどけ!くらいのセレクトで棚をつくっている本屋さんは当時1軒もなかったんです。東京から移住してきた人たちにとって、尖った情報のあるインディーの本屋さんってニーズがあると思った。少なくとも僕はそういう本屋さんがあるほうが、さらにこのまちに暮らしたくなる。だから本屋をやろうと決めました」

一般の流通にのらない、特定の地域や流通形態でしか手に入れることのできない「独立系出版物」を中心に扱い、コーヒーを出す。

そんなブックカフェ「栞日」がスタートしたのは、2013年8月のことだった。

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いきあたりばったり

「当時は本屋を淡々とやって、コーヒーを淡々と淹れる店にしようと思ってたんです。小さな店だったから敷居も高かったんでしょうね。来てくれるのは僕の友人や知人、あとはメディアで知った旅行者が多かったんです」

開店から3ヶ月ほどのある日。常連客の女性から、この空間で写真の展示がしたいと相談を受けた。

企画展を開催してみると、それまで栞日に来たことのない人が、足を運んでくれる姿を目にした。

「企画がひとつあるだけで、店に来るきっかけになったんです。ギャラリー的なスペースをつくって定期的にコンテンツが変わると、店の色を変えていくことができるとわかって。それ以降は積極的に、企画展をするようになりました」

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開店から6年。栞日は今、同じ通り沿いにある広いスペースに移転し、喫茶店、本屋、そしてギャラリースペースとして運営をしている。

「喫茶の部分では最近、老若男女が、自由に自分の時間を過ごしてくれる姿を見るようになりました。目の前に銭湯があるんですけどね。そこに通っているおばあちゃんが、今日ちょっと早く来ちゃったわってコーヒーを1杯飲んでから風呂に行ったんです。その後も来てくれるようになって」

「そういう感じがもっと見てみたいなって思うんですよね。喫茶の部分に限っていうと、70%くらいは自分なりのスターバックスになってきているような気がしています」

移転前の場所は、栞日が運営する中長期滞在型のゲストハウスに。他にもまちの仲間とはじめたスペースで「栞日分室」というギャラリースペースを運営。さらに栞日オープン当初から、1年に1度、北アルプス山麓で本を楽しむフェスティバル「ALPS BOOK CAMP(アルプス ブック キャンプ)」を主催している。

ABC

(写真提供:栞日 写真:Yukihiro Shinohara)

どんどん事業が広がっているように見えるけれど、菊地さんはこの先どんなことを考えているのでしょう。

「長期的な戦略があるようで、実は行き当たりばったりなのが栞日なんです。目の前に起きたことにリアクションしていったら、なんとなく次の道筋が見えてくる感じなんですよ」

「栞日を移転したのも、手狭になっていたころに今の物件の話があって。最初は誰か入る人を探すつもりが自分でやることになったり。ゲストハウスも誰かやらないかなって思ってたら、やってみればっていわれて、そうだなって」

この春はじまったばかりだという栞日分室も、仲間からなにかできないか声をかけられたことがスタートだったそう。

「ほんとに行き当たりばったりなんです。その時々、僕を取り巻く状況にリアクションしているっていう感じで。そうしているうちに、僕の関心も広がっていくから、次やることも、そのときになってみないとわからないんですよね」

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目の前のことに応えていく。それが、次の扉を開いてくれる。

その感覚は、栞日に並ぶ本のラインアップについても似たものがあるという。

「開業当時はローカルとか、ライフスタイルとか、ソーシャルみたいなものが多かったんだけど。写真展をやるうちに僕自身も写真とか、アートワークもおもしろいなって思うようになったり。関心の幅は広がっていると思います」

「本のセレクションも今後どうなっていくのかは、僕自身ももわかりません。出会った人とその表現に僕が関心を持てば、それが仕入れにつながっていく。独立系の出版物を基軸にしていくことは変わらないかな。変わらない部分があることも予感しつつ、どんな本屋になっていくかわからないんですよね」

変わらずに、変わっていく。

その自分を素直に受け入れている菊地さんは、この変化をとても楽しんでいるように見える。

次に松本を訪れるとき、栞日からはじまる広がりはどんなものになっているだろう。

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栞日
長野県松本市深志3-7-8
TEL:0263-50-5967
営業時間:7:00-20:00
定休日:水曜+臨時休業

文:中嶋希実
写真:清水美由紀