文:栞日 菊地徹

元号が平成から令和に変わり、参院選で与党が勝利し、消費税率が8%から10%に上がった。2019年は、ザッと振り返れば、そんな年だった。

長野県松本市という人口24万の地方都市で、書店兼喫茶を営む個人事業主の立場からすると、元号改正に伴い10連休となったゴールデンウィークには、国宝・松本城を擁する観光地という側面があるこの街にも、例年以上の旅行者が訪れ、店も連日まさに週末のような客入りで、売上面では有難かった反面、仕入れや仕込み、オペレーション全般が追いつかず、この店で提供したいと考えている本来の時間や価値からは遠ざかってしまった、と感じる場面も少なくなかった。

夏の参院選では、スタッフからの提案もあって、初めてGO VOTEキャンペーンを打ってみた。店頭ではドリンクをディスカウント。それに加え、毎夏主催しているブックフェス「ALPS BOOK CAMP」が、ちょうど投票日の日曜を含む週末の開催だったので、本部テントでオフィシャルポスターをプレゼントした。

ABC

2013年の夏、当時26歳の僕がひとりで栞日を開業したとき、掲げた店のコンセプトは「心地よい暮らしのヒント」だった。学生時代から喫茶や本屋に非日常のひとときを求めていた僕にとって、自分が営む書店兼喫茶をなるべく日常の話題、こと政治や社会から遠ざけようとしたことは、いま考えてみても、いわば必然だった。でも、それから6年が経つ中で、僕も結婚して、子どもができて、この街の大人たちとさまざまな切り口からコミュニケーションを重ねる中で、一度はフタをしていた社会というものに対して、再び感心が高まってきた。政治を含め現実社会にある課題から目を逸らさず向き合い、自分の頭で考え、判断し、行動に移すことが、それぞれの「心地よい暮らし」につながっていくことを、いまでは理解しているつもりだし、少なくとも本屋としては、そうやって一人ひとりが思索するときのヒントになり得る、誰かの思考や哲学、表現に触れられるような本たちを、紹介していきたいと考えている。昨年の春、店のコンセプトを「ちいさな声に眼をこらす」に更新した。

秋に消費税が上がるのに先立って、8月に店が6周年を迎えたタイミングで、コーヒーはじめ喫茶メニュー全般の価格改定を行った。開業当初からコーヒー豆を仕入れている京都のオオヤコーヒ焙煎所と、この夏、栞日のオリジナルブレンドをつくったのだが、このブレンドに希少な豆が使われている関係から仕入れ値が上がり、提供価格も修正せざるを得なかった、というのがそもそもだ。とはいえ、そのすぐあとに控えている増税のタイミングで、またそれを理由に、コーヒー以外のドリンクや焼菓子などのフードを値上げすることになったら、僕なら「またか」とネガティブな印象を抱くな、と考え、併せて喫茶メニュー全体の価格を見直すことにした。もともと栞日の喫茶の価格設定は、僕や妻の「自分がお客さんだったら」という視点と、この街の喫茶店の標準価格をベースにしていて、厳密な原価計算には基づいていなかった。今回は、厳密とはいえないにしても改めてやってみた原価計算と、もともと僕らが感覚的にやってきた価格設定の手法を織り交ぜ、落としどころを定めていった。いまの栞日としての適正価格に落ち着いた、と感じている。

税率が変わったことで、メディアでも巷でもさまざまな消費行動の変化が話題になっているが、僕が店に立っていて感じる変化の最たるものは、キャッシュレス会計を求められる頻度の急増だ。しかも、クレジットカード以上に電子マネーによる会計を希望されるケースが明らかに増えた。増税前は、店の単価が低いこともあって、会計の大半が現金だった。外国人旅行者を中心に、1日数回のカード会計があるかないか、といった程度。それが増税に伴うキャッシュレス・ポイント還元事業の導入以降、財布からサッとカードが出てくる場面を日に何度も見るようになり、電子マネーによる会計も当然のようにリクエストされることが日常になった。期間限定の政策とはいえ、いまのこの勢いは世間にキャッシュレス決済の存在と方法、そしてその利便性を、認識させ体験させ、実感させるには充分な状況で、事業終了後も「キャッシュレス」という言葉とスタイルは広く一般に浸透していくのではないか、と想像する。時代だな、とも思う。

こうして、あれよあれよという間に2019年は幕を閉じようとしていて、気づけば令和最初の年越しと、オリンピックイヤーはすぐそこだ。あの震災と原発事故から2年半、まだ日も浅く、少なくとも現地では本来の日常から遠く隔たった生活を余儀なくされていた2013年の秋に、五輪の開催決定が発表されたとき、僕の周囲では批判的な見方や意見が多く聞かれた。開業間もない栞日にも「あの震災がきっかけで生き方や働き方を見つめ直して」という経緯で創刊されたインディーマガジンが幾つも並んでいて、僕も彼らの考えに共感していたから、こんなときにトーキョーは何を考えているのだ、と憤ったことを覚えている。そのオリンピックがいよいよ現実のものとしてやってくる。この国の経済はどうやら回復傾向にあり、オリンピック効果も大いに期待され、景気は上向きムードらしい。でも、そんなときだからこそ、あのときの違和感を思い出し、祝祭の喧騒から離れ、世間の気分に巻き込まれないように、俯瞰する姿勢を保っていたい。

夏季五輪に先立ち、僕が暮らす街では、年度末に市長選を控えている。四期連投した現市長が引退を表明し、既に複数の候補者が出馬表明していることから、選挙戦を経て、新しい市政がこの春スタートを切ることになる。松本のような規模感の地方都市では、行政にせよ民間にせよ、個人が街に与えるインパクトはリアルで実質的だ。毎日の生活や街の風景が、確かに変わっていく感覚を伴う。健康医療政策で大きく評価される一方、経済文化面での施策に積極性を欠いたという批評も多い、医師出身の市長が退き、この街は次のリーダーに誰を迎え、どこに向かうのだろう。誰を迎え、どこに向かおうと、このローカルで商いを営むと決めた以上、僕はこの街と歩みを共にすることなる。状況が変わったときも、街に対して、静かにまっとうなレスポンスができる本屋でありたい。そのための健やかで強かな眼を養いたい。

文中の画像提供:栞日